ルーツは「孤独」 分身ロボット開発に人生をかける理由

左からオリィ研究所の吉藤健太朗、結城明姫


高専で人工知能を学んだのち、人と人とをつなぐコミュニケーション支援機器を作ろうと、早稲田大学創造理工学部に入学した。だが、大学3年を間近に控え、「入りたい研究室がない」ことに気づく。

「ないなら、つくる」が吉藤のモットーだ。当時住んでいたアパートに、オリィ研究所を立ち上げた。この段階で「大学卒業は捨てる」と決めた。その後は単位度外視で、映画や美術、商業など、興味がある授業に片っ端から潜った。

学びの場所は大学内に留まらない。開発に役立つと思えば何でも学んだ。例えばパントマイム。体の動きを分析し、ロボット工学に生かそうと考えた。演劇部では、存在感について体得した。学友と借りた一軒家のガレージにシリコン型を作る装置を設置し、ネットで調べた方法を試したり、SNSで見つけた近所のフィギュア型職人に指導を受けたりしながらロボット開発を続けた。

聞き上手、観察上手、決断上手

大学入学と前後して人生を変える仲間を得た。のちにオリィ研究所の共同創設者となる結城明姫だ。

天才の学びには、自分に必要なものを見極め、不要なものは捨てるという行為が伴う。結城もそうだ。

元々は研究者だった。小学校1年のときに自宅でカタツムリを300匹買い、ノート46ページ分に及ぶ記録を付けたという根っからの凝り性。高校1年で出場したJSECでは「水流中における空気柱の発生についての研究」を発表し、文部科学大臣賞とYKK特別賞をダブル受賞した輝かしい経歴を持つ。

そんな結城を動かしたのは、「共感」だった。

吉藤とはJSECの授賞式で知り合った。その後、09年に開かれたJSEC卒業生向けの屋久島合宿で初めて、吉藤のミッションを聞く。

「孤独を癒す分身ロボットを作ろうと思っている」

その瞬間、過去の自分の姿が脳裏に浮かんだ。実は結城、高校時代に結核を患ったことがある。病院に隔離されたときに覚えた、あの違和感や矛盾。吉藤とともに、孤独の解消を実現すると誓った。

以後、週1回のペースで吉藤を交えた数人とブレストするようになる。皆の話に耳を傾け、出した結論が「研究を捨て、経営を学ぶ」だった。
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文=瀬戸久美子 写真=武 耕平

この記事は 「Forbes JAPAN 100年「情熱的に働き、学び続ける」時代」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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