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ベンティラはマンハッタンのアッパー・イーストサイドのベッドルームが一つしかないアパートで、ハンガリー移民の子として育った。祖国では映画作家だった父親が、彫刻やイラストで得る収入はわずか。母親がコロンビア大学で経営を教え、家計を支えた。

飛び抜けて知能の高い子どもだったベンティラは、奨学金を得てマンハッタンの私立男子校のバックリー校に入学。同じく奨学金で寄宿制の名門アンドーバー高校、イェール大学と進み、続いてシルバー・スカラーズ(イェール大学の優秀な卒業生に大学院の初年度の学費を支給する)と呼ばれるプログラムを使ってイェール大学経営大学院に進学した。

最初の起業は学部生だった2000年。アンドーバーやイェールの友人たちと組んでデータ・マイニング用ソフトウェアの会社を設立。1000万ドルを調達し、18カ月後には売却した。大学院修了後はグーグルに入社してビジネスの作戦や戦略を練るチームで働いた。

ベンティラはその後、いったんグーグルを離れて検索エンジンの会社を立ち上げ、それをグーグルに売却して大金を手にしたり、再びグーグルに戻ったりしている。プライベートではその間、サンフランシスコのツインピークス界隈に家を買い、妻のジェニー・ステファノッティと移り住んだ。

娘のサビーネが1歳半になり、息子のレオナルドも生まれようとしていた12年の冬、夫妻は幼稚園探しを試みて愕然とした。優れた幼稚園は一握りで、どの園も競争率が尋常ではなく高かったのだ。

「ちゃんとした幼稚園に入れてやらないと、子どもたちは30歳までに孤独な文無しになるだろうっていうことなんだよ」

どのような学校ならサビーネが輝けそうかをリサーチした彼は、グーグルを辞めて、新しい学校をつくるために資金集めを始めた。シリーズAの出資を募るためのプレゼン資料には、ベンティラ自身がベッドに寝そべり、サビーネと生まれたばかりのレオナルドに本を読み聞かせている写真を載せた。写真の上部には、こんなガンジーの名言を書き入れた。

「この世が変わるのを見たいなら、あなたがその変化となりなさい」

ところで、オルトスクールの今後は楽観できるものなのだろうか。

実験校で学び続けている子どもたちの保護者からは、その方針や成果に満足しているとの声が聞こえるものの、1〜2年で見切りをつけ、子どもを別の公立校や私立校に転校させた保護者もいる。不満の多くは教師の能力に向けられたもの。これについてベンティラはコメントを拒んでいる。

文=スーザン・アダムス 写真=ティモシー・アーチボルド 翻訳=町田敦夫

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