荒れた室内で見たテレビのアニメで、人魚の尾びれが破れて水中で人間の足がジタバタしているのをマーロが幻視したのは、「無理!」と無意識が訴えていたからだ。しかしその訴えを彼女は無視した。タリーが来てからマーロの夢に出てくるのは、自分が人魚になったように深海で彷徨っている状態だ。
おそらくマーロが何もかも話せる相手は、独身時代に一緒に暮らした女友達ヴァイだけだっただろう。でも彼女に偶然カフェで遭遇しても、相談をもちかけることはできなかった。
とうに限界を過ぎていたのに、マーロは自分自身を騙し、何もかも一人で抱え込み、やりとげようとした。タリーが現れる前に、彼女は既に壊れかけていたのだ。
極限に追いつめられた人間が妙にハイな状態になって、己の限界を突破したかのように超人的な働きをすることはあるかもしれない。でもそれは、「トムとジェリー」のような昔のアニメでよくある、全速力で走って行って崖の上から宙空に飛び出したのに、まだ落ちずに懸命に走る姿を維持しているようなものだ。自分が宙にいると気づいた瞬間、真下に墜落する。
若い頃によく聞いた80年代のナンバーをガンガンかけて、タリーと二人で車で街まで飲みに出かけ、昔大好きだった音楽が流れる店でヴァイのことを思い出し、そこらの自転車でかつて二人で住んだ通りに突っ走っていく様は、胸が痛くなる。
「こんなはずじゃなかった、若くて何でもできたあの頃に戻りたい、何もかもリセットしたい」と、ある閾を越えたマーロの全身が叫んでいたのだ。
彼女が”帰還”できたのは幸いである。家事も育児もさまざまな感情も妻と分かち合うことを決めたドリューとの生活で、マーロはもう深海を彷徨う夢を見ることはないだろう。
シャーリーズ・セロン(左)とマッケンジー・デイヴィス(GettyImages)
連載:シネマの女は最後に微笑む
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