子育てで時間的にも精神的にまったく余裕がなくなり、セルフケアもできなくなったマーロの、長女サラに「どうしたの?」と言われるような緩み切った体型、ボサボサのヘア、やつれた顔は、ワンオペ育児の過酷さをリアルに示す。なのに出張から帰ったドリューは、夕食がピザで、マーロが食事のマナーについて子供を注意しないのをとがめ立てするのだ。
ドリューは、マーロに言わせれば「普通の夫」である。毎日仕事にでかけ、家では時々子供の宿題を見る以外は妻にほぼすべてを任せ、寝る前はテレビゲームに没頭。妻の異常を見過ごしてしまう「普通」の中の鈍感さが描かれている。
多忙と疲労に夫の無理解が重なっているのに、マーロはなぜ我慢して何もかも一人で抱え込んでいるのか。そのあたりの疑問を残しつつ、ついに初めて頼んだナイトシッター、タリー(マッケンジー・デイヴィス)がやってくる。
余裕が出て、うまく回り出す
タリーは、明るくフレンドリーな痩身の若い女性。さまざまな知識に裏付けられたウイットに富んだ会話とてきぱきした仕事ぶりに、マーロは驚く。夜の間、授乳時以外はずっとタリーが乳児の世話をし、マーロは久々に熟睡。朝起きるとタリーの姿はなく、荒れていた部屋は完璧に掃除がされて、花まで活けられている。
「いいママはクラス・パーティを開いてカップケーキを焼いている」とマーロがタリーに話した翌朝は、色とりどりのカップケーキがテーブルに。ある夜は二人で庭に出てサングリア片手に、ドリューとのセックスレスについて語らい、マーロはドリューをその気にさせるのをタリーに”手伝って”もらう。
余裕が出てきたマーロは、以前のように手料理を作り、クラス・パーティを開いてサラと熱唱する。すべては、タリーの御蔭でうまく回るようになる。タリーとは、一体何者なのか。
もしかして「妖精」では?と思う人もいるだろう。緑色の毛糸の帽子を被って現れ、身のこなしは軽やかで、詩的な言葉を口にし、相手の話を聞いて心のケアをし、人が眠っている間に魔法のようにすべての仕事を片付けていくのだ。妖精の仕業としか思えない。
だが、勘の鋭い人は後半で、タリーは「妖精」でないのはもちろん、マーロの「夢」でもなく、「他人」ですらないのではないか‥‥と気づくだろう。
マーロは、母親が何度も変わる複雑で貧しい家庭に育った。大人になって兄は成功したが、マーロは子沢山で余裕がない。ジョナが名門小学校に入学できたのも、寄付をしている兄の口利きだ。
夫と子供達を愛しているマーロの中には、自分が子供時代に過ごしたような家庭には絶対するまい、兄にもこれ以上世話になるまい、とにかく自分が頑張らねばという思いが溢れている。「人に頼るのに慣れてない」という台詞も出てくる。
「自分にはできるはず」という思い込み、「自分がしなければ」という強い義務感は、「これ以上無理」という本音を抑圧する。