「失速することなく、上へ」久保建英の言葉から感じられた強固なプロ意識

久保建英(Photo by Tom Dulat - FIFA/FIFA via Getty Images)

歴代2位の若さとなる、18歳5日でフル代表にデビューしたのが今月9日。わずか5日後にはFC東京から世界一のビッグクラブ、レアル・マドリードへの電撃移籍決定を介して世界中を仰天させる。そして、チリ代表に無念の惨敗を喫したものの、南米王者を決めるコパ・アメリカ2019初戦で森保ジャパン初先発とフル出場を果たした。

スターへの階段を一気に駆け上がっていく久保建英がこれまでに残した数々の語録をあらためて振り返ってみると、類稀な才能と潜在能力を秘めた少年が早い段階から壮大な夢と目標を掲げ、まっすぐに歩んできた軌跡が浮かび上がってくる。


質問を投げかけた直後に、FC東京の関係者から「試合に関することだけを聞いてください」と、大声で注意されたことを覚えている。時は2016年11月5日。場所は駒沢オリンピック公園陸上競技場。100人を超えるメディアに囲まれていたのは、まだ15歳4か月の久保建英だった。
 
この日に行われたAC長野パルセイロとの明治安田生命J3リーグで、久保は初めてプロの舞台でプレーした。スペイン帰りの逸材がデビューするのでは、という事前情報とも相まって、平均の3倍を数えた7653人もの観衆が後半開始とともに投入された久保へ熱い視線を送っていた。

J3リーグでは異例となる観客数だったこともあって、試合後の囲み取材で「注目されていることをどのように思いますか」と質問した。直後に冒頭で記した注意が飛んできたわけだが、ちょっぴりナーバスになっている周囲を意に介することなく、久保は驚くほど冷静沈着に言葉を紡いだ。

「プロサッカー選手になったときに注目されなくなったら、それはよくないな、と思います。ただ、いまはあまり注目してほしくないかな、という思いはあります」

当時の身分はアマチュア。中学3年生にして高校生年代のFC東京U-18に昇格し、2016年秋にはFC東京U-18に所属したままトップチームの公式戦に出場できる、2種登録選手にもなった。FC東京がJ3に参戦させていたU-23チームは、ステップアップとして絶好の舞台だった。
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文=藤江直人

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