なぜ彼女は過酷な挑戦を続けるのだろうか。二木がこれまで歩んできた水中表現家としてのミッションとモチベーションを聞いた。
──世界を飛び回っている二木さんは今、どのようなプロジェクトに取り組んでいるのでしょうか?
「水中表現家」は私が造った肩書きで、素潜りで各国の海を潜り、自分自身で撮影をしたり、被写体になることで作品を作っています。だいたい1年の3分の2以上を海外で過ごしています。
海に潜っている私を見て欲しいというエゴではなく、私が架け橋となって多くの人に海中の世界を伝えたい。「環境保護」という言葉がありますが、海中の世界と向き合うと、地球は保護するものではなく共存するものということが理解できると思います。
現在、複数のプロジェクトを同時に進めていますが、5年程前から計画をしているのが、人類未踏の世界一標高の高い湖で素潜りをするギネス記録。それに向けて、「アイスマン」の異名を持つウィム・ホフというオランダ人トレーナーの下で訓練をしました。
真冬の気温マイナス15度のポーランドの雪山では、寒さに慣れるため、水着だけで氷水の中を泳ぐ練習をしました。通常だと6分ほど息を止めることができますが、氷水の中となると話は別。じっと耐えることは簡単ですが、泳ぐとなると全然違う。寒いというよりも、冷たい水が痛かったです。
水中訓練の後、体が乾いている状態で雪山を登るのは楽でした。実は私、寒いのが大の苦手で(笑)。日本の冬でも凍えていた私が、訓練をしたら氷水の中でも笑って泳げるようになりました。
──海の世界で挑戦を続ける姿を見ていると、本当に海が好きなんだなと思います。
好きというより、「やらなくてはいけない」という責任感の方が強いです。小さい頃から水泳をやっていて、高校生の頃はドキュメンタリー作家になるのが夢でした。でも20代前半でホンジュラスの海に初めて入った時、直感的に私の居るべき場所はここだと感じました。
幼い頃から、どんなことに対しても「挑戦しなかった後悔」は絶対に嫌だった。経験してみて自分に合わなければ、「違うんだな」と理解して次に進んで生きてきました。
私が素潜りで表現を続ける理由は、世界中の人に海中のありのままの姿を伝えたいから。酸素ボンベを使用すると、音と泡で魚が遠ざかってしまうんです。
素潜りだからこそ経験できる海の世界があります。私は海の生き物みたいに長い間息を止めることもできないし、彼らと比べると泳ぐのも遅い。それをからかうように人懐こいアザラシがじゃれてきたこともありました。
Photographed by Fabrice Dudenhofer / Edited by Verónica Espericueta Blázquez