その立役者が、横浜市役所のIT・ICT担当を広く担ってきた石塚清香だ。石塚はインターネットの黎明期からその可能性に気づき、民間のエンジニアとも積極的に勉強会を開いてきた。その先見性と熱量の原点はどこにあるのか。
きっかけは東日本大震災
石塚は1991年に横浜市役所に就職したが、最初から子育てポータルサイトをやりたいと思っていたわけではない。IT関連の部署にいたことで、オープンガバメントの第一歩として「オープンデータ」を進めようと考えていた。ただ、仕組みやデータのつくり方など知識があるぶん、実現は難しいのではと予想していた。
その考えを大きく変えたのが、2011年3月の東日本大震災だ。ネット上で、オープンガバメントの実例ともいえる活動が次々と展開される光景を目の当たりにし、衝撃を受けた。避難所の情報を集めてウェブ上で公開し、それがツイッターでリレーのように拡散されたり、東京電力に計画停電の情報をもらい、それを民間エンジニアがアプリ化して可視化したり……。
こうした活動を目のあたりにする中で、石塚の脳内に「オープンガバメント」のイメージが鮮明に描かれていった。行政は市民に役に立つデータをたくさん持っている。率先して、もっとデータを出すべきではないか──。強くそう感じたという。
2011年7月に横浜市の職員提案制度に応募。しかし、当時はまだオープンデータという概念そのものがほとんど知られていなかった時期だ。まずはデータを活用してなにができるかを示そうとする中で「育なび」の構想がまとまっていった。
11月、市長への最終プレゼンで好感触は得たものの、結果は保留に。課題を再検討のうえ、翌年、再度プレゼンすることになった。しかし、そんな矢先の2012年4月、石塚は情報システム課から金沢区に異動が決まる。
区への異動を奇貨として
元々、市全体で実現する前に、区で実証してみたいと考えていた石塚。「これはラッキー!」とばかりに、すぐさまプレゼン資料を用意し、区長に「営業」をかけた。
「金沢区でお試しいただければ、子育てしやすい区としてアピールできますよ!」と石塚がしっかりとプレゼンをしたところ、当時の区長から、「おもしろい!」と賛意を得たという。
「あのゴーサインがなかったら、いまでも「育なび」は、つくることはできていなかったと思います」