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オプチーボの開発で、BMS側の日本人として携わった。

──その後、米製薬会社のブリストル・マイヤーズ スクイブ(BMS)に転職されました。

あるカンファレンスで、BMS米国本社の開発プロジェクトマネージメント部門長に会う機会がありました。日本に貢献したいという気持ちがあったので、最初は外資系には興味がなかったのですが、ブリストルには1500人ほど従業員がいる日本法人があると知って、気持ちが変わりました。しかも、日本での新しいプロジェクトマネジメント部を立ち上げて欲しいと言われ、入社を決めました。

日本に行く前に、米国本社でBMSのプロセスやプロジェクトマネジメントの手法を学ぶことになり、日本関連の事業を任せてもらうことになりました。それががん免疫薬のオプジーボとの出会いでした。

9年前、オプジーボは本当に無限の可能性を秘めている薬でした。まだ臨床第一相試験(初めてヒトに投与する段階)です。「これはがん治療の今までの常識を変えるほどの薬だ」とチームでずっと言っていましたが、名前もまだない薬で、なかなか信じてもらえませんでしたね。

データを蓄積していくうちに、周りの雰囲気が変わっていったのを覚えています。開発戦略をチームで建てたのち、必要なお金や人、リソースを投入し、今のオプチーボになりました。開発チームは小野薬品との共同で、私はBMS側の日本人としてプロジェクトに入っていました。

2年後に日本に異動になると聞いた時はとても悩みました。オプチーボは多くの患者の命を救える、無限の可能性がある薬で、やりがいを感じていました。しかし日本で仕事もしたい。究極の選択を迫られ、日本を選びました。正しい決断だったと思います。

──オプジーボのようなプロジェクトに関われるのは、わくわくする瞬間ですか。

私がわくわくするのは、新しい発見をする時です。新しいことを学び、知らない世界を見るのが大好きです。新しい未来像を垣間見ることができれば、あとは行動に移すだけです。オプジーボでは、「これで多くの人の命が救われる」という未来の可能性が見えました。では今から何をするのか。それを具体的な戦略や計画に落とし込むのが私の得意分野のプロジェクトマネジメントです。

米国にいた時に遺伝子検査で乳がんになる可能性が高いということがわかり、予防のための全摘出手術を受けました。つらい経験でしたが、患者目線で国による保険制度や予防医療の考え方の違いを身近に見ました。GHITは薬の開発を支援するだけでなく、それ以外も考えないといけない。薬だけでなく、薬のアクセス・デリバリーや国をまたいだ支援を行わなければいけないといったことに取り組める可能性にひかれました。

構成=成相通子 イラストレーション=Luke Waller

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