バークは15歳で家を出て、後に学校も退学した。「食費と家賃を払いながら(学校に行くこと)は無理だった」とバーク。そして2年後、コロラド州デンバーに向かったバークは生活費を稼ぐため販売店やレストランでいろいろな仕事をした。「その頃は、自分がしたかったデザインのキャリアを始めることができなかった」
その3年後の2003年、ニューヨークに移り住む一大決心をした。「友人を訪ねたとき、ある人に出会った」と明かしたバーク。「その関係は続かなかったけど、この街と恋に落ちた」
バークはマンハッタンに引っ越し、インテリア企業のレストレーション・ハードウエア(RH)で働き始めた。「販売店の運営という自分の経験とデザインの組み合わせだったので、僕にとっては本当に良い仕事だった」と語るバーク。「これでその軌道に乗れた」
その後、ベッド・バス・アンド・ビヨンドでの仕事(2か月しか続かず、「それまでで最悪の仕事」だったという)を経て、米国での事業拡大を目指していたイタリアのリネン製品企業に採用された。だがこの仕事も長くは続かなかった。「米市場で(の自分の知識を基に)やろうとしたことが全て反対された。その会社は米市場がイタリア市場と同じだと思っていた」とバークは説明した。
バークはその後間もなく、同社を後にすることになった。「でもこの企業は、(家具ブランドの)ポーティコ(Portico)の製造を請け負っていた。僕が退職することを知ったポーティコのオーナーが『私の下で働いてほしい』と言ってくれた」