【取材後記】ゼリーのような国家から生まれる「個」の幸福の味

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Forbes JAPAN6月号でのエストニア取材の旅では、最先端の技術に触れ、新しい働き方を探すつもりだった。 世界中からインディペンデントな人たちが集まる「IT先進国」の真の姿とは。


料理を見れば、その国の様相が推察できるという。素材本来の持ち味を大切にし、精緻な技術を使いながら、立体的に表現していく日本料理。古典性と前衛性の融和を図りながら、時間をかけて旨味を重ねていくフランス料理──。

一方、ロシアの西側に位置し、フィンランドから海を隔てた南側のバルト海に面したバルト三国のひとつ、エストニアには、スルトゥという伝統料理がある。これは、豚肉を玉ねぎやにんじんなどと共に鍋に入れてじっくり煮込んだあと冷まし、肉に含まれるゼラチンで固めた、豚肉のゼリー寄せである。

フランスの食文化であるパテのようにすりつぶして複雑化させるわけでもなく、ゼリーという半透明で弾力性に富んだ枠組みの中で、肉や一つひとつの素材本来の旨味を殺さず、十分に活かす。この料理こそがまさに、エストニアという国の有り様を象徴しているかのように見える。

エストニアの人口は約132万人で、福岡市内に満たないほどだ。成熟した起業家文化が根付いており、2017年の世界経済フォーラムの「最も起業家精神が旺盛な国」では、世界トップに選出された。

その名を広めたのは「IT先進国」としてである。行政サービスの99%が電子化されており、残りの1%にあたる結婚や離婚、不動産の売却以外は、電子IDと電子署名のみでオンライン上でできる。海外からもパソコンやスマートフォンなどで投票が可能だ。

外国人向けに14年に開始した「e-Residency」というプログラムは、オンライン上で電子住民になれるという世界初の試みである。この電子居住権を持つと、国外にいながらエストニアに法人を年間3万円程度からと安価に設立でき、どこにいてもリモートで会社を経営できる。

これまで160を超える国から5万以上の応募があり、日本からは安倍晋三首相をはじめ、2500人以上がその居住権を取得している。そんな最先端の電子国家から学ぼうと、世界中から視察に訪れる人が後を絶たないなか、最も視察に足を運んでいるのが、日本人だそうだ。

際立たせ、つなぎ、結集する

世界に冠たる電子国家──。そんな期待を胸に足を踏み入れたならば、あなたはきっと大きく失望することになるだろう。

「IT先進国? いや、そんなんじゃない。ここは、データ利活用先進国だよ」 長くエストニア政府系組織で働いていた方が教えてくれた。

確かにエストニアの街を歩いていても、きらびやかでわかりやすいテクノロジーの姿やサイバー空間を目にすることはない。むしろ目の前に広がるのは、城壁や塔が立ち並ぶ、中世の雰囲気を今に伝える町並みや緑豊かな自然だ。

「IT立国の実感なんてあるわけない。電子サービスはインビジブルだから。けれどね、新しい仕組みや価値観、ツールというものは生活の中に組み込まれてくる。だから、一見、見えづらいし、実感が持てない。だが、一度外に出たら、そのアクセシビリティに初めて気づくんだ。だから今、エストニア回帰が起こっている」
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文=谷本有香

この記事は 「Forbes JAPAN 100年「情熱的に働き、学び続ける」時代」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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