もちろん、嫌だなと思う人や意地悪な人はいましたよ。でも、そういう性格が悪い人は、不思議といつの間にか消えていなくなっちゃう。だから、ケンカなんかしないで、放っておけばいい。あいつはきっと今にいなくなるって思っていると、本当にいなくなるから。だから、やっぱりこちらから好き嫌いはしないほうがいいです。
NHKに入りたてのころなんて、先輩やディレクターから毎日散々注意されたり、テレビドラマの通行人をやっただけで、「個性が邪魔!」「スッと通れよ!」なんてボロクソ言われて、役を降ろされたりしていました。それでも「難しいな」とは思ったけど、「なんでそんなこと言われなきゃいけないんだ!」なんて怒らずに、ただ「おっしゃる通りに致しましょう」と思うだけでした。悔しくて1回だけNHKの壁を蹴ったことはあったけどね(笑)。
そもそも私は、自分が「たいしたもん」だなんて思ったことがなかったんですよ。みんなよりできないと思っていたから、先輩たちの言うことは素直に聞いたほうがいいかなってね。
落ち込むこともなかったです。元々たいしたもんじゃないし、こんなものかなって。降ろされないために勉強はたくさんしましたけど、落ち込みもしませんでした。
──徹子さんの人生の中で、「自分の人生を生きている」と実感したようなターニングポイントはありましたか?
大きなターニングポイントの1つは、38歳でのニューヨーク留学です。マネージャーや母に相談して、少し前から貯金もして、1年間お仕事を休むことに決めました。学校を出てすぐにNHKに入ったものだから、このまま歳をとったら何もできない人になってしまうような気がして。
演劇を学びに行ったのだけれど、実は本当にいちばんやりたかったのは、朝、インスタントではなく、きちんとドリップして入れたコーヒーをゆったり飲んで、「さあ、今日はどうしようかしら」なんて、気まぐれに1日の予定を決められる自由な生活だったのかもしれない。
イラスト=Luke Waller
ニューヨークでは、ブロードウェイで作曲家として活躍するロームさん夫妻がとても可愛がってくれて、たくさんのミュージカル関係者に紹介してくれたの。みんなが変わるがわる「晩御飯を食べにいらっしゃい」と誘ってくれたりして、モテモテでした(笑)。母がくれた振袖を着て毎晩出かけたけど、自分でお金を払って食事をしたことは一度もなかったですね。結婚を申し込まれたりもしたけれど、私は結局日本での仕事に戻るつもりだったから、その道は選ばなかったです。
ブロードウェイというところは、本当に厳しい世界でした。ショービジネスに関わる人たちの80%近くが、いつも仕事がない状態なんだと知りました。特に俳優は大変で、毎日オーディションを受けて、次に出られる作品をいつも探している状態です。
そんななかで私はいつもみんなから「結婚しなくても自分の力だけで暮らしていけるのがうらやましいわ」と言われていました。「この舞台の世界では食べていかれないから、私たちはどんな人とでも結婚してしまうけど、あなたはこの世界で成功していて、結婚しなくても自分の力だけで生きていけるなんてうらやましいわ」ってね。