中学、高校と過ごしている間、私は漠然と「これからの日本はどうしたらいいのか」と思っていました。海外の先進国に憧れはありましたが、何をもって先進国なのか、自分ではわかりませんでした。だから、どうすれば先進国から学び、日本に還元することができるのか、自分の身で確かめたいと思うようになりました。
当時、アメリカとソ連の間で宇宙開発競争が白熱し、どちらが先に人間を地球外に送り出すかを競い合っていました。1961年にソ連の宇宙飛行士ガガーリンが世界初の有人宇宙飛行を達成した時、ソ連が先進国ではないか、だからソ連に行くのがいいんじゃないかと思うようになりました。
そこでさっそく、ソ連大使館に行ってみると「あなたはまだ大学も出ていない。モスクワで勉強するなら、大学を出てから来たほうがいい」と、やんわり断られました。では、アメリカなのかというと、当時からアメリカに留学している人がいましたので、他の人とは違う道を歩んでみたいという気持ちがありました。
そこで、歴史的な背景が日本と似ている英国がいいのではないかと思い立ったのです。そこで、英国に行くツテを探しました。祖父に相談しても乗り気ではありませんでしたので、別のルートを模索したところ、東京大学で教鞭をとっているケンブリッジ大学出身の若い英国人教師がいることがわかりました。
彼に「英国に行きたい」と自分の意思を伝えると、「イギリスには大学が30くらいしかないし、特にトップの大学は難しい。英語もネイティブなみに使えないといけない」と諭されました。当時の私の英語は高校生レベルでしたので、普通に考えたら諦めなければならない状況です。しかし、何度か会っているうちに、彼は、私が本気なんだと感じ取ってくれました。
彼は、直接大学には行けないから、まずはイギリスでパブリックスクールという、高校の2年間で通う学校があることを教えてくれて、渡英の手続き方法を紹介してくれたのです。
渡英するもう一つの条件として、未成年がビザを取るためには現地で保護者として面倒を見てくれる人が必要でした。彼もそれをわかっていたので、彼の両親が保護者として登録してくれました。
この流れは武勇伝的に聞こえるかもしれません。しかし、当時15~6歳だった私の気持ちを振り返ると、日本を離れて別の世界を見たいという想いが強く、今でいう「現実逃避」的な考えから渡英を決意したのです。