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田坂広志の「深き思索、静かな気づき」


しかし、一方、近年の科学技術の急激な発達がもたらす現実を見ていると、こうした社会科学的な視点、「人類社会の過去の経験に学べば、その未来が予見できる」という思想が、現実の変化に追いつけず、大きな限界に突き当たっていることを感じる。

例えば、現代では、ネット革命によって、誰もが手軽に世界中に情報を発信できるようになり、地球の片隅の一人の人間の発するメッセージが、ときに、世界全体に影響を与え、大きな変化を引き起こす現象も生じるが、こうした「地球規模のバタフライ効果」は、人類の歴史の中で、経験が無い。  

また、まもなく、高度な知的労働さえも、その大半を人工知能が代替する社会が到来するが、こうした社会も、人類は過去に経験したことがない。  

そして、人工知能は、亡くなった人物の書簡や日記、映像や音声などの膨大な記録を学習することにより、その人物のように思索し、その人物のような姿と声で家族や友人と対話をすることもできるようになるが、こうした状況も、人類は未経験である。  

さらに、これからのクローン技術の発達によって、技術的には、人間は自分のクローン人間さえ持つこともできるようになるが、そうした状況で何が起こるかも、人類は全く経験していない。  

このように「経験」というものの限界を考えるとき、深い示唆を与えるのが、ノーベル文学賞を受賞した日系英国人作家、カズオ・イシグロの小説、『わたしを離さないで』(Never Let Me Go)であろう。  

これは、臓器提供者として育てられたクローン人間の子供たちの物語であり、若くして死ぬことが宿命づけられた人間の悲哀を描いた作品であるが、もし、クローン人間の医療への利用が現実になったとき、そこで何が起こるかを、想像力の極みにおいて描いた、広義のSF(空想科学)文学である。  

同様に、アーサー・C・クラークのSF文学『2001年宇宙の旅』は、人工知能が高度に発達し、自我を獲得し、人間への反乱を起こしたとき何が起こるのかを描き、スタニスワフ・レムの『ソラリスの陽のもとに』は、自分の記憶の中にある故人が、現実に目の前に現れてきたとき、我々の心に何が起こるのかを、想像力を駆使して描いた物語である。

このように、過去の歴史が経験したことのない状況に人類が直面していく時代において、我々が未来を知るためには、「経験」に依拠した社会科学には限界があり、「想像」に依拠した文学、特にSF文学が、大きな役割を果たすことになるだろう。  

近年、「文学は、力を失った」という議論があるが、決してそうではない。「経験」に学ぶだけでは未来が見えない時代。「想像」の力を飛翔させる文学には、21世紀、新たな役割がある。

文=田坂広志

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