本田圭佑の人生すべてで貫かれる矜持「普通って何や」

本田圭佑 Mike Hewitt - FIFA/Getty Images


本田のなかで定められる「刺激」にのっとれば、新天地から除外される国が出てくる。仮説を立てたうえで、確認の意味も込めて直撃した。刺激を考えると、日本への復帰は──と。
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「正直言うと、日本という選択肢は考えたことがないです」

間髪入れずに言葉を返してきた本田は、ちょっぴり申し訳なさそうな表情を浮かべていたことを思い出す。続いて「悪くとらえないでくださいね」と断りを入れながら、こんな言葉を紡いだ。

「これからもないですね。日本には僕がいなくても、頑張っている選手が大勢いる。みんなが頑張っている日本はちょっと窮屈というか、海外の2メートル近い大男たちと喧嘩したい日本人というのもいるわけです。そういうところに刺激を求めていく日本人も、何人かはいないといけない。そういう点で、我々の役割分担というのも職種に関わらずあるのかなと考えています」
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ミランの次にメキシコの名門CFパチューカを選んだ本田は、2018年夏には活躍の舞台を南半球へ移す。しかも、オーストラリアの強豪メルボルン・ビクトリーFCでプレーしながら、実質的なカンボジア代表監督に就任。現役選手と指導者、それも代表監督という二足の草鞋を履き始めた。

異例の挑戦を許可してくれたことが、メルボルン・ビクトリーへの移籍を後押しした。ただ、メルボルンでのプレーは1年だけと当初から決めていたという。退団と次なる新天地を探すと明言している本田の思考回路には、いま現在もJリーグへの復帰は記されていない。

かつては中村俊輔が、最近では内田篤人が「ヨーロッパで積み重ねてきた経験を還元したい」という理由で、日本でプロの第一歩を踏み出した横浜F・マリノス、鹿島アントラーズへそれぞれ復帰した。ここでも「普通は帰ってくる──」と言いたくなるが、本田の考え方は180度異なるのだろう。

メルボルン・ビクトリーの一員としてアジアチャンピオンズリーグ(ACL)を戦う過程で、サンフレッチェ広島のホーム、エディオンスタジアム広島へ乗り込んだ今年3月。一時は同点に追いつくゴールを決めた試合後に、後に続く若手選手たちへ「どんどん海を渡れ」と檄を飛ばしている。

「若手に対してずっと海外へ行けと言ってきた理由は、Jリーグに居座るのは時期尚早だと思うからです。ドイツのブンデスリーガのように選手が国外へ移籍することなく、自国でプレーしていても十分にワールドカップを目指していけるようなリーグになるには、日本はまだ時間がかかる。どう考えてもまだまだ海外に打って出て、いろいろと経験を積んだほうが選手としては伸びますよね」

各国のナショナルチームが活動できる、国際サッカー連盟(FIFA)が定める国際Aマッチウィークにカンボジア代表監督を務めている関係で、本田自身は昨夏のロシア大会後に、日本代表とは一線を画すと明言している。それでも、日の丸へ抱く憧憬の思いは萎えていない。
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文=藤江直人

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