本田圭佑の人生すべてで貫かれる矜持「普通って何や」

本田圭佑 Mike Hewitt - FIFA/Getty Images


来夏に開催される東京五輪。開幕時で23歳以下という年齢制限が設けられているなかで、最大3人が招集される年齢無制限のオーバーエイジでの出場へ、真っ先に名乗りをあげている。一生に一度、巡ってくるかどうかわからない、自国開催の五輪という位置づけが本田の挑戦者魂をかき立てる。

自分よりもはるかに若い外国の大男たちと、前述した「喧嘩」を繰り広げたくなったのだろう。ちょっと物騒に聞こえる「喧嘩」の定義を、本田自身は「本当の喧嘩は好きじゃないですよ」と苦笑しながら、こう語ったことがある。

「10年以上海外で生活していますけど、許せないと思えるシーンはサッカー以外にも本当にいろいろあるんですね。そのたびに『日本人をなめるな』と伝えてきたし、そういう戦いが人生において一番価値がある、非常に重要だと思っているので」

プロの第一歩を踏み出した名古屋グランパスから、オランダのVVVフェンローへ移籍したのが2008年1月。以来、ロシアのCSKAモスクワ、ミラン、パチューカ、メルボルン・ビクトリーと日本を含めて世界の6ヵ国でプレーしてきた。

本田が貫く流儀を踏まえれば、7つ目にしておそらく現役最後になるかもしれないチームを、日本に求めることはない。東京五輪の舞台に立ち、公言している金メダル獲得を目指す力を身にまとうためにも、新天地の照準を再びヨーロッパへ、レベルの高いリーグへ定めているはずだ。

パチューカへ移籍したときも、出演したテレビ番組で「誤解してほしくないんですけど、ヨーロッパからも数多くのオファーがあったんですよ」と明かしている。それでもメキシコを選んだのは標高の高い高地にあるチームで、ロシア大会へ向けて心肺機能を鍛え直す作業を自らに課す狙いがあった。

人生観が反映された本田の数々のコメントをあらためて振り返ると、ビッグマウスという言葉を思わず連想してしまう。頼もしく響いてくると同時に、大口ばかり叩きやがってと、ときには反感を買うこともあるだろう。それでも不敵な言葉を繰り返す意義を、本田はこう明かしたことがある。

「自分のことが弱い人間だとわかっているから、周囲に対してあえて言うことで、逃げ道をなくしてきたんですね」

あえて自分を追い込み、プレッシャーをかけることでさらなる成長を促す。他の日本人とは一線を画すと言っていい生き様を貫きながら、弱さもあるとはばかることなく認める。ときおりのぞかせる人間臭いギャップもまた、まもなく33歳になる本田の魅力と言っていいかもしれない。

文=藤江直人

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