「ありのままで」的多文化主義が行き詰まり、オランダ政府も方向転換を余儀なくされた。国としての結束を重視し、 移民に対して「公民(civic)」としての自覚を持たせるようにシフトしている。
たとえば、市民権取得テストにオランダ国憲法や政治制度・歴史など、公民基礎知識の問題が加わった。 また、生活保護を申請する移民や外国人には、オランダ語や文化についての集中講義を義務付けた。永住を希望する移民は、入国後3年半以内に、オランダ語・文化についての試験(有料)に合格しなければならない。
一方で、マイノリティの社会統合を阻害していると批判の多かった民族教育への助成金給付制度(第2回記事参照)も2004年で打ち切った。小学校でのバイリンガル授業も全廃された。また、2011年にはブルカ禁止を閣議決定した。 あからさまな同化政策とは一線を画すが、マイノリティの文化や宗教の自由を規制する方向に動いているのは明らかだ。
しかし、新制度の下でも非欧州系移民の社会統合は進まない。若者の失業率は依然として高い(2016年で14.3パーセント)。さらに、中東やアフガニスタン、北アフリカからの難民申請者が加わり、国の福祉システムへの負担が膨らんでいる。
国政では、あからさまな反イスラム・反移民姿勢のゲルト・ウィルダース率いる自由党が2017年の総選挙で下院(第二院)の第二党に躍進したが、先月(2019年5月)の第一院選挙では、自由党は4議席失った(選挙前は9議席)。一方で、自由党と同じく反移民・反EUの新興政党「民主フォーラム」が12議席を獲得し、「自由民主国民党」とともに、トップに躍り出た。これも移民問題に対する有権者の不満の表れと言っていいだろう。
オランダ社会に溶け込めない移民たち、多文化政策の行き詰まり、「団結か多様性か」で揺れる世論、そして、国民の不安を煽って勢力を強める極右。分断の構図はオランダのみならず、スウェーデン、デンマークなどの北欧や、ドイツ、イタリア、フランスなどの西欧、そして、中・東欧諸国でも鮮明になってきた。
自由民主主義陣営と排他的ナショナリズム勢力のせめぎ合いの中で、多文化主義は今後どのような変容を迫られるのか。予断を許さない状況が今後も続くだろう。
多文化政策の成否は、移民たちの態度だけでなく、「受け入れる側」の心理や態度によっても左右される。国民が新しい隣人や環境をどう受け止め、反応し、それが政治にどう影響するのか。地域に外国人住民が急増して、住み慣れた町の様相が変わってくると、治安や秩序が悪化してきたと不安を感じるかもしれない。
それに対して、政府や自治体の対応が不十分だと、政治や政府への不信感が増す。移民やグローバリゼーションによって失われてしまった自分たちの「日常」や社会秩序を取りもどしたい。そうした国民感情が、国境閉鎖や外国人排斥など強行的手段で「古き良き社会(それが実在したかどうかは別として)」の復活を約束してくれるポピュリストに引き寄せられ、移民反対論につながっていくのではないか。
日本の場合、今回の改正入管法の立法化をめぐっては、与野党を問わず国会や国民の十分な理解が得られたとは言い難い。直接の受入れ主体である地域や企業の中には、すでに外国人の生活支援に苦慮苦戦しているところも多く、先行きに不安を募らせている。
国としてのコンセンサスがないまま多文化共生社会への道を歩み始めた日本だが、多文化社会がもたらす利益を最大化するためにも、オランダなど多文化政策先進国から教訓を得て、適切な対策を講じることが望まれる。
【参考文献】
Karen Stenner (2010) The Authoritarian Dynamic. New York: Cambridge University Press.
連載:多文化共生主義の憂鬱
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