感情とは何で、どこから来るのか?

shutterstock.com


2. 人生経験と文化

行動を起こす生物学的な性質は、人生経験と文化によってさらに形作られる。恐れ、怒り、悲しみ、喜びの表情は、マスメディアのコミュニケーション方法やグローバリゼーションにさらされていない文化を含め、世界の全ての文化の人が認識できる普遍的なものだ。また、愛する人の喪失が悲しみや悲嘆につながるのは普遍的である一方で、こうした悲しみを表現する方法は文化によって違う。

中世の欧州では、死に関する行事は公の儀式で、悲しみを抑制なくそのまま表現する遺族を慰める式典が、特定の形で準備・実施されていた。古代ケルト文化では、人々が悲しみから泣き叫ぶ「death wail(悲しみのむせび泣き)」という伝統があったことが記録として残っている。

エチオピアでは複数の民族で、葬儀の前後や最中に歌い踊る習慣があり、これは死に打ち勝ち、死者の恨みを晴らすためとされている。また、喪を象徴する色として多くの文化で黒が使われるが、エジプトでは黄色、朝鮮半島では青、ブラジルやタイでは紫、パプアニューギニアでは灰色となっている。

生理学的な視点から見ても、考える脳が感情的な脳から発達したこと、つまり感情的な脳が合理的な脳よりもずっと昔から存在していたことが科学的に示されている。私たちはホモサピエンスに進化するはるかに昔、単なる行動と反応の生き物で、自分の感情や、それが引き起こす走る、隠れる、子どもを作るといった行動に生存の可能性を託していた。

しかし洞窟に住むことをやめ、他にもさまざまな進化を経験するなかで、私たちの脳も進化を続け、いわゆる大脳新皮質が発達し、感情に反する考え方をするようになった。私たちは突然、概念に対して感情を持ち、戦略を立て、長期的な視点で考え、ただ子孫を残すだけでなく愛することができるようになった。

私たちは原始的な感情を使ってその瞬間を生き延びるだけでなく、繁栄し、自分たちや社会的コミュニティーとしての人類の質を改善する人生計画を作ることができるようになったのだ。

私たちは頭と心のどちらに耳を傾けるべきなのだろうか? これには絶対的に正しい答えはなく、それぞれのケースについてさまざまな正しい解決策があるだけだ。はっきりしているのは、私たちがもはや、衝動的で非合理的な生き物では(ほぼ)なくなっているということだ。一方で、感情の論理や意味、歴史を理解することは、合理的だと認定された解決策について感情面で知的な答えを出す上で大きく役立つかもしれない。

編集=遠藤宗生

ForbesBrandVoice

人気記事