ビジネス

2019.06.02 10:00

米国流イノベーションはknow whoで起こす 女性経営者の手腕 

海老原育子 ジョンソン・エンド・ジョンソン ビジョンケア カンパニー 代表取締役プレジデント

「もともと研究室にこもって一人静かに実験するのが好きなタイプだったんですけどね。いま社長業をやっているのが不思議なくらいです」

東京・表参道の「アキュビューストア表参道」。瞳分析シミュレーターなどを備えたアキュビュー初のコンセプトショップに、ジョンソン・エンド・ジョンソン ビジョンケア カンパニー代表取締役プレジデントの海老原育子は、凛々しいパンツスーツで現れた。颯爽と歩くその姿からは、確かにかつては白衣に身を包んだ“リケジョ”だったことが想像しづらい。

もともとは星空を眺めることが好きな少女だった。天文学を学ぶために猛勉強をして東大に入ったが、結局、「それを生業にするのは違う」と考え直して、化学の道に進んだ。大学院修了後は外資系の住友スリーエム(現スリーエム ジャパン)に技術職として就職する。接着剤の開発のため、研究室で黙々と実験を繰り返す日々。内向的な性格の海老原には何の不満もないはずだった。しかし、2年に及ぶアメリカへの長期出張が仕事観を変えた。

「開発の方法論が違いました。アメリカでは研究者が一人で考えるのではなく、他部門の人と話してアイデアを磨きます。相談相手がいいアイデアを持っていなくても、『そのテーマなら、あの人から話を聞いてごらん』と、わらしべ長者のように人を紹介してくれる。ノウハウ(knowhow)よりノウフー(know who)でイノベーションを起こすんです」

海老原に与えられたミッションは、光を当てると固まって絶対に離れない夢の接着剤の開発だ。最終的には技術的に非常に困難だと判明したが、ノウフーでアイデアを磨き、それに近い技術を生み出して、入社7年目にして初めての特許を取った。以後、取得した特許は9つにのぼる。

研究者として開花したが、アメリカ流を覚えた海老原にとって日本の研究室は狭すぎた。帰国後1年も経たないうちにアメリカ本社に転籍。「R&Dとマーケティングの懸け橋になりたい」と考えて事業側に移った。海老原はここでも結果を出し、不調だった日本のヘルスケア事業を立て直すため、逆輸入の形で日本に戻る。
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文=村上 敬 写真=苅部太郎

この記事は 「Forbes JAPAN 100年「情熱的に働き、学び続ける」時代」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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