―ご自身の予測から意外だった発酵文化について教えてください。
意外だったのは、日本海側は塩漬けの文化で、瀬戸内海はお酢の文化だったということかな。
北陸は、へしこやなれずしなど塩をいっぱい使うものが多くて、瀬戸内海は酢締めが多くなるんですよ。理由を考えると、「海が人間の暮らしに近い土地か」ということなんです。
日本海側は漁期が短く、波が荒い。さらにその魚介を近畿地方や東海地方などに持っていき、長い距離を移動していたため、かなり強い保存性を持たせるため、塩がたくさん必要だった。
瀬戸内海は扁平な地形で、暖かい気候で漁期が比較的長い。日本海側のようにそんなに長く運搬する必要がなかったので、軽く保存性を持たせれば良いから、酢を使っていたんですよね。
味覚を通じて、その土地の人たちが自然と向き合う態度や距離感などディティールが分かっていくのが驚きでした。
―ご著書などで、醸造家と金融のつながりも紹介されています。
分かりやすいのは、広島・尾道です。ミツカンの本拠地である愛知県知多半島の半田と勢力を二分している時代があり、半田は東回り航路で江戸側を、尾道は西回りを制した。
尾道では、秋田から安価な米を持ってきて、酒に変えて付加価値をつけて西回り航路で売りさばいたりして、資本を蓄積して、銀行の頭取や鉄道会社のオーナーを輩出した橋本家が有名です。
近代資本主義が生まれる前、錬金術的なプロダクトの一つが、発酵だったんですよね。それが酢や日本酒だった。
あともう一つ大事なのは、藍染めの染料となる「すくも」です。巨額の富を生み出していたのです。
―藍染めも発酵と関係があるのでしょうか。
藍染めって発酵技術なんです。蓼藍という植物の葉っぱを発酵させて腐葉土にした「すくも」を石灰水で溶いて、深い藍、インディゴが濃縮されていくのが基本です。
明治維新が起こるまでの日本では、庶民が着られる色って限られていたんです。そこで最もポピュラーだった色が藍色。ジャパンブルーですね。嫌虫性があり、生地が丈夫になるんですよ。藍の染色工房は日本各地にあるけれど、その原料になる「すくも」は徳島が独占していました。
吉野川流域は毎年、梅雨などで水浸しになるのでナイル川みたい。蓼藍は土が痩せていてもいいけれど、湿気を好むので、ビショビショな土地じゃないと育てられないそうです。
日本酒や酢、醤油のように藍染めが基幹産業だったというのも、今回の旅で詳しく知り、衝撃的でした。