フォーブスジャパン編集部

発酵デザイナー小倉ヒラク

発酵デザイナーという一風変わった仕事の道を切り拓く小倉ヒラク。

2018年夏から19年春まで日本列島を巡り、「全国発酵取材旅」を挙行。その集大成として、「発酵」を切り口に各地の風土や味覚を紹介すべく、渋谷ヒカリエの47都道府県をテーマにした「d47 MUSEUM」で発酵ツーリズム展を7月8日まで開催している。

小倉が語る「目に見えない微生物の世界」を通じて、現代社会を生きる私たちに訴えかけるものとは。あくせく過ぎる日々の中、手を止め、足を止め、五感を研ぎ澄ました探求の旅に出かけよう。



d47 MUSEUMに足を踏み入れると、まず懐かしい匂いを感じ、ゴクリと息を飲んだ。

八丁味噌、たまり醤油、守口漬け…。
愛知の濃い味噌文化で育った筆者は「味覚音痴」で悩ましい時期があった。大学時代に京都で暮らし始めると、当初は寮で出されたおでんや京野菜のおばんざいに物足りなさを感じ、「きっと味付けを忘れてしまったんだろうな」と勘繰っていた。そしてだしの旨みが理解できず、勝手に悟った。「名古屋人は舌がバカになっとる…」。

今回の展覧会「Fermentation Tourism Nippon〜発酵から再発見する日本の旅〜」を通じて、この思い込みから解放されることになった。

休学してパリで弟子入り

2014年から「発酵デザイナー」という不思議な肩書きを名乗るようになった小倉ヒラク。まずは、その正体から探っていこう。

学生時代は、早稲田大学で文化人類学を学び、世界を旅するのが好きな青年だった。イラストレーターやデザイナーの仕事にも興味があり、1年間休学して、フランス・パリへ飛び立ったのだ。そこで旧ユーゴスラビアにルーツを持つ画家に弟子入り。移民街で色んな文化圏の友人たちと関わりながら、絵画の技法を学んだ。

帰国後は紆余曲折を経て、スキンケア会社に入社し、デザイナーに。そして約10年前、26歳で独立した。

独立後は、東京で生まれ育った小倉は、東京に身を置きながらも、縁あって地域の仕事を多くしていた。宮城県内の田んぼの調査を東北大学やNPOとともに行い、地域の子供向けに教育プログラムを作ったり、林業再生にまつわるプロダクトを手掛けたり。「環境や生態系に関わる問題をデザインによって解決する『ソーシャルデザイン』や『ローカルデザイン』の黎明期だった」と振り返る。

地域のデザインの仕事をする中で出会ったのが、醸造業だった。

最初のきっかけはサラリーマン時代の後輩の実家が、山梨県の五味醤油だったことから。その導きで、発酵学の第一人者であり、東京農業大学名誉教授の小泉武夫と出会い、醸造の世界と深いつながりを持つことになる。

「気づけば、味噌や醤油など発酵にまつわる分野のデザインの仕事ばかりをしていて、他のことが手につかなくなったんです」

そんな時、ある新聞記者から「小倉さんは発酵のことばっかりやってるから『発酵デザイナー』ですね」と言われた。「よくわからない肩書きだけど確かにそうだな」と、2014年ごろから自分でも「発酵デザイナー」と名乗るようになった。

そして、2度目の「弟子入り」をすることになる。

文=督あかり、写真=八尋伸

PICK UP

あなたにおすすめ

合わせて読みたい