建築家がビッグデータ解析のプロ、MIT研究員に。吉村有司氏が「たまたま」つかんだキャリアシフト

吉村有司氏


──バルセロナに行ってからも、設計のお仕事をされていたのですか?

バルセロナに行った当初は建築のデザインをやろうと思っていたんです。もともと僕の専門は建築デザインであり、建築設計だったので、バルセロナでは建築のデザインが学びたかったのです。

でも、実際にバルセロナへ行き、その街に住んでみたら、「建築の単体のデザイン」というよりも寧ろ、建物と建物の間のスペース、つまりは、街のパブリックスペースのデザインとか、バルセロナの都市戦略(EUという舞台の中で、国という枠組みではなく、都市という単位でいかに立ち回っていくかといった戦略)とか、そっちの方が面白いんじゃないかと思い始めてしまったのです。

──それでどうされたのですか?

とりあえず、そのようなパブリックスペースのデザインをしたり、街全体の都市戦略を考えたりしているのは誰だろうと、探してみることにしました。そうしたら、市役所がやっていることが分かってきた。特にバルセロナでは、市内のパブリックスペースのデザインを始め、モビリティ戦略を核とした歩行者空間計画をバルセロナ都市生態学庁というところが主導しているということが分かってきました。

この部門は様々な都市問題を生態学的に捉え、そしてそれらの問題を個別に扱うのではなく包括的に取り組んでいくという、世界的に見ても稀有な存在です。しかもそれを公的機関が担っているというのは新鮮な驚きでした。いても立ってもいられなくなって、「入れてください」ってドアを叩きにいったら、たまたま席があって、入れてくれたんです。

──移民でも公的機関などで働けたんですか?

僕が渡西した2000年代前半というのは、ちょうどユーロが始まってEUが成長していこうという時期でした。また、スペインでは不動産バブルが起こりかけていました。街中には仕事が溢れ、それこそ猫の手も借りたい、そんな状況だったんです。そんな背景もあり、我々移民に対しても労働ビザを比較的簡単に出していた時期だったのです。いまとなっては全く考えられないことですが。

──バルセロナでのお仕事はどんな感じだったのでしょうか?

バルセロナ都市生態学庁での体験は驚きの連続でした。入った初日に所長に呼ばれて言われたことが今でも忘れられません。唐突に、「明日からモビリティをやってくれ」と言われたのです。モビリティというのは交通のことで、都市の中で動く車や歩行者の動きを担当してくれと。予想だにしていませんでした。建築家は建物単体だけではなくて、街全体を見る教育を受けていますが、さすがにモビリティは分からないわけですよ、やれと言われても。

さらに衝撃的だったのが、「君、日本人だから、テクノロジーとか強いでしょ。ITを使った交通計画をよろしく」と言われてしまったのです。もう、冗談としか思えなかったのですが、ここで「出来ません、分かりません」というのはちょっと悔しい気もして、、、もう、やるしかない、、、という気持ちでした。でもいま思えば、所長のあの時のあの言葉がなければ、僕はセンサーやITなどの領域には入ってなかった訳ですから、人間なにが幸いするか本当に分かりません。

バルセロナ都市生態学庁では2005年から2009年の4年間くらい働き、その後、カタルーニャ先進交通センターで働きました。そこからスタートアップを作って、最後にアカデミアの世界にたどり着きました。
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文=クローデン葉子

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