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1. JR山手線沿いに約47km

渋谷駅を起点、上野駅をゴールに設定し、2回に分けた。前編は4月28日、新宿池袋方面の外回り、後編は4月30日、品川東京方面の内回りを歩いた。

渋谷駅から外回り側は、新宿駅や池袋駅のターミナル駅、大塚駅や駒込駅といった昭和な住宅街、ゴール手前には、鴬谷駅至近のラブホ街など、どこか庶民的だった。これに対し、内回り側は、目黒駅や大崎駅、品川駅手前の御殿山ヒルズといった高級住宅街、田町駅や浜松町駅至近の休日の閑散としたビジネス街、玄関口としての東京駅、ハイカルチャーなサイド、という対比が面白かった。

山手線沿いは、とにかく隣の駅までの近道を探りあてて辿っていけば、いつかはゴールにたどり着く。証拠代わりに、スタンプラリーのようにすべての駅の駅名の看板を写真に記録した。

歩いてみて、山手線に踏切があることを初めて知った。駒込駅の北側で、線路を右手に見ながら東北東に進み、田端駅に向かう途上に「第二中里踏切」と名のついた踏切があった。



ひとつひとつの踏切に名前がついていることも初めて意識した。(ちなみに、JR山手線恵比寿駅から目黒駅の山手線沿いを歩く途上には「長者丸踏切」があった。これは山手線の踏切ではなく、成田エキスプレスが通過していた。後述の目黒区界を歩く際にも重要な経路である)。このヒリヒリする発見に小躍りした。

また、コンビニに定休日があることも知り、驚いた。今年に入ってから、コンビニエンスストアの24時間営業の是非が問われているが、都心には、営業時間は平日は7時から23時まで、深夜・日曜・休日は当たり前のように店を閉めている店もあった。



2. 目黒区界、約32km

目黒区五本木の「芦毛塚之碑」をスタート・ゴール地点として、目黒区を右方向になぞりながら、時計回りで一周した。

北上して、ほどなく国道246号線、池尻大橋駅の構内を通って、駒場、目黒区最北端の三叉路「三角橋」、そこから右折し山手通り、再び246号線を超えて、旧山手通り、恵比寿駅、目黒駅前、目黒川、林試の森公園、西小山、洗足、東工大の敷地を横切って、目黒区最南端の緑が丘、自由が丘、八雲、駒沢公園の敷地を横切って、東が丘、環状七号線を渡り、再び五本木に戻ってきた。

Google Map上では25km程度と見積もっていた。やってみると、1日の目標である20kmをかなり超えていた。山手線とは比べ物にならないほどの過酷なルートだった。



歩いてみて、区界の冒険には、多くの越えられない「難所」が存在することに気づいた。地図上では「目と鼻の先」であるにもかかわらず、車通りの多い道路や、民家が邪魔して区界を進めない箇所がある。

地図を垂直に置いてみると、区界は、山の尾根のようになだらかな箇所もあれば、複雑だったり、とんでもなく険しかったり、崖のように見える箇所もある。登山家が山頂を目指す際、道なき道を探りながらアタックを目指すような見立てを、平地にいながらにして経験できた。

日常生活のなかに「見えないボーダーラインがある」ことがわかったことが、区界をなぞって歩いたことの発見だった。たとえば、駒沢陸上競技場の真ん中には、目黒区と世田谷区の区界が通っている。陸上のトラック競技選手は、見事に、目黒区と世田谷区を往復していることになる。街中の、区界を示すサイン(境界プレート)を探し当てながら進んでいく。ふたつの区のプレートがきれいに並んで埋めてある場所を探すのも面白い。

また、環状七号線の洗足駅から入り込む小路では、西に向かって歩いているにも関わらず、右側(北側)の「目黒区”南”」と、左側(南側)の「大田区”北”千束」に挟まれていて、方向感覚を見失う。さらには、目黒区の最南端では、「目黒区緑が丘」「大田区石川町」「世田谷区奥沢」の3区が互いに隣り合っている。「呑川緑道 ここは(目黒区)緑が丘3丁目」という「大田区役所」が製作した看板があった。



河川やかつての崖のように、地形で明確に区切られている区界であればわかりやすい。しかし区界については、記録は残されていないものが多いという。おそらくは、土地の所有者であった当時の権力者たちの間で決められたものなのだろう。日本は島国ゆえに、地続きでの国境を意識することはできないが、こうして身近な目に見えないボーダーの上を歩きながら、ひとつひとつの物語に思いを馳せるのも面白いかもしれない。

構成=石井節子

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