そのヒントを探るべく、日本の酒蔵の多様性を継承することを目的に、ユニークな事業展開を進める「ナオライ」のメンバーが、これからの社会を創るキーパーソン、「醸し人」に迫る連続インタビュー。
第5回は、創業以来、オートバイをはじめ多様なモビリティ開発を通じて、世の中に多くの興奮と感動を創造してきたヤマハ発動機の執行役員兼MC(モーターサイクル)事業本部長、木下拓也さん。
昨年、ヤマハ発動機は、新中期経営計画とともに、「ART for Human Possibilities」という長期ビジョンを掲げた。オートバイの会社に、ARTとはいささか不思議な感じもするが、このビジョンに込められた、「感動創造企業」としての同社がめざすもの、そしてその世界観について、キーマンに訊いた。
──ヤマハ発動機の前身は、楽器で知られるヤマハ(当時は「日本楽器製造」)にありますね。
日本楽器の設立は1897年。オートバイ産業は、1953年、4代目社長の川上源一の命で参入しました。
ところが、既に市場は飽和状態。業界内での淘汰も始まっている最中だったため、当然、社内でも「なぜ、いまオートバイを?」という声が、多数挙がりました。しかし、オートバイ産業は、社長の川上が会社の次なる道を模索するため、ヨーロッパ各地を巡るなかで確信した必然の一手だったのです。
ふり返れば、ヤマハブランドの歴史は、楽器に始まりオートバイへと、60年を節目として変化を遂げてきました。そして、ヤマハ発動機の設立から約60年が経ったいま、そのDNAを再定義して、「新しいヤマハ発動機」に変革するときが来たと、MC事業本部長としても感じています。
──具体的には、木下さんは、どのような「新しいヤマハ発動機」を描かれているのですか?
全社の長期ビジョンとして「ART for Human Possibilities(以下、ART)」を掲げましたが、どれだけ技術が発達しても、意思がなければ到達できない場所がある。そこへ行きたいと願う人間の欲求、それがアートであると定義しています。
私が考える新しいヤマハ発動機では、商品やサービスを媒介にして、人々が根源的に持つ能力や可能性を奏で、さらにはそれが周囲に共感や感動を響かせるような価値を創造していく。そんな想いを今回の「ART」というビジョンには込めました。
「ストイックな遊び」を提供してきた
──実は、今回訊きたかったのは「遊び」についてです。一般的には、遊びは仕事の「対価」という感覚が強い。頑張って働いた代わりに遊んでいいよ、というような。でも究極の遊びというのは、自分でルールを決めて楽しむことだと思うのです。そして、それはアートの感覚にも近いかなと。
私は遊びと仕事は区別できないものだと考えています。どちらも「オン」で取り組むものです。うちの会社では、プライベートでもオートバイいじったり乗ったりする人が多いんです。仕事もそれに近い感覚なのです。だって、仕事も遊びも楽しいほうがいいじゃないですか(笑)。
──遊びも「オン」の状態というのが、面白いですね。
とくにオートバイに関しては、かなりハードな遊びですからね。ハイスピードでバンクする乗り物で遊ぶからには、「限界」と向き合う覚悟を持たなければいけない。
そのうえ、オートバイというのは、かなり面倒臭い乗り物なのです。冬は寒いし、夏は暑いし、雨にさらされるときだってある。でも、乗るのが上達する過程や、目的地に辿り着くまでの行程が楽しいから、どうしてもやめることができないのです。