「雇用を創出し復興に寄与」に共感
大倉智さんは、1992年に早稲田大を卒業後、日立製作所に入社。社員選手から、プロ選手に転向して柏レイソルへ。ジュビロ磐田、現・ベガルタ仙台、米国のチームを経て現役を引退。バルセロナの大学に入学し、サッカーの本場に3年、身を置きながら、スポーツビジネスや選手のセカンドキャリアについて学びました。
帰国後、セレッソ大阪のチーム統括ディレクターに迎えられ、2004年には湘南ベルマーレ強化部長に就任して、チームをJ1昇格に導きました。東日本大震災後、GMや社長を務めたベルマーレを退職し、2016年にいわきスポーツクラブの代表取締役になりました。
Jリーグから、福島でのチームに転身したきっかけは何だったのでしょうか。
「いわきスポーツクラブの親会社『ドーム』の安田社長が、同級生なんです。彼は法政大のアメリカンフットボール部で活躍していました。彼らが震災後、まもなくいわきに物資を運び始め、僕は当時、湘南ベルマーレにいて、やはりいわきに支援物資を運んでいて。振り返るといわきへの縁があったんだなと思います」
ドームは、テーピングやスポーツ選手をサポートするサプリメントを扱っていて、米国のスポーツブランド「アンダーアーマー」の日本総代理店でもあります。
「2014年ごろに、安田社長と再会して、何か一緒に仕事ができたらと思って話をしました。『スポーツを通して社会を豊かにしたい』という考えは同じでした。『実は、物流センターをいわきに建てている。震災からの復興と成長に寄与したい』『物資を送るだけでなく、地元の雇用を創出する』という話や、サッカーのみならず様々なスポーツについて、僕も経験からアメリカはこうだ、ヨーロッパはこうだと知ってはいましたが、彼の持っているいろいろな知識に共感を覚え、会うたびに話が尽きませんでした」
日本のサッカー界は勝つことが目的になっている
大倉さんは、いわき市内に建設中の物流センターを見に行きました。実際は4階建てですが、まだ1階部分しかできていない時です。
「その隣に、今はいわきFCパークになっている広大な土地があり、原発の避難区域の仮役場になっていました。ここでスポーツをやりたいね、サッカーチームをやったらどうなるかなと安田社長に言われました。僕は最初、『そんな簡単じゃないし、Jリーグを目指すチームはたくさんあって、場所や資金がなくて、理念だけではつぶれていくよ。差別化やブランド化は難しい』と伝えました」
「でも、いろいろなスポーツの話をしていくうちに、新しいチームを作ったらおもしろいなと思うようになりました。僕の中でも、Jリーグに対して、世界から遅れていくという気持ちがありました。Jリーグが始まって25年経っても、選手は口々に『フィジカルが強いチームでやりたい』『厳しいところでやりたい』と言って、海外に出てしまう現状があります。若手を育成するためにサッカークラブが持つアカデミーも、機能していません。オランダのある名門クラブは、いい選手を獲得するだけでなく、アカデミー・人材育成にかなりの金額を投資しています。結果、J1の平均年齢は27歳ですが、このクラブのトップ選手は平均22歳です。この若さから生まれる躍動感ある試合が、見る人に感動を与えます」