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「民俗学2.0」でAI時代を読む


「裸形像」のスぺクタル

最も気になったのはやはり、表情やしぐさが生身の人間らしいにもかかわらず、機械部分があらわなことである。じつはマインダーをニュースで最初に見たとき、今後、実際の衣を機械の上に着させるのものと想像したのだ。

日本の仏像彫刻史においては、全裸もしくは上半身のみの半裸で仏像を造り、そこに着物をまとわせた「裸形着装像」というスタイルがある。筆者はアンドロイド観音から、こうした形式の仏像を思い浮かべたのだった。

裸形着装像は平安時代末に登場し、鎌倉時代にはさかんにつくられた。日本にこの形式の像は53例あり、京都・広隆寺の秘仏、聖徳太子立像が最も早い時期のものだと考えられている。全裸像と半裸像があるうち、前者の代表的なものは奈良・伝香寺の地蔵菩薩立像、後者を代表するものは兵庫・浄土寺の阿弥陀如来立像であろう。

建仁元年(1201年)、仏師快慶作の浄土寺像(奈良国立博物館寄託)は、死者を救済するために阿弥陀仏が来迎するようすを演じる「練り供養」の本尊で、像高266.5cmという大きな仏像に実物の衣を着せ、台車に乗せて動かしたされている。「裸形着装像」はこうしたスぺクタルで技巧的な演出によってリアリティを増し、人びとの信仰心を高めていったのである。

マインダーについても、こうした演出がなされるのではないかと予測していたのだ。

なぜ、機械がむき出しなのか?

しかし、アンドロイド観音の発案者である後藤前執事長は、機械をむき出しにし、衣をまとわせないことで、「参観者が観音様の姿を想像できる余地を残した」と説明している。観音菩薩は、「救いを求めるものに応じて、さまざまな姿に変化する」という教義にもとづいているのだろう。筆者の想像した「裸形着装像」の発想とは違っていたのだ。

マインダーの左目にはカメラが内蔵されており、相手の目を見て話すようなしぐさができる。今後はさらに、このカメラが人の顔や動きを認識し、相手に合わせて動けるよう機能を進化させるという。



実際に拝し、法話を体験したうえで最も印象的だったのは、アンドロイド観音の透明性、匿名性であった。マインダーには、歴史的な仏像のような個性はない。つまり、なにかに似ているようでだれにも似てはいないのだ。マインダーの細部に目を凝らし、“機械美”のようなものを感じとる人がいるかもしれない。だがそれよりも、衣をまとわせないことにより、ニュートラルな存在としての“聖性”を獲得しているようにも感じた。

プロジェクションマッピングのまばゆい光が生み出すマインダーの影を見て、私は神仏が姿を現すことを意味する「影向(ようごう)」という言葉が思い浮かんだ。「影向」はまた、神仏が“かりそめの姿”をまとって現れることも意味する。マインダーには個性が禁物である理由も、影のような存在であるべきだからなのか…。

機械をむき出しにしたアンドロイド観音もまたかりそめの姿であり、最新テクノロジーが生み出した伝統的な“依り代”なのかもしれない。

*アンドロイド観音 マインダーによる法話「般若心経を語る」は3月8日から5月6日までおこなわれた。一般公開期間後の拝観の予定などについては、電話075-561-9966に要問い合わせ。

文・写真=畑中章宏

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