持てる者に依存して生きるしかない、階層社会の生んだ深い諦観

左からアンドレイ・ズギャビンツェフ監督、エレナ・リャドワ、ナデシュダ・マキナ、アレクサンデル・ロジニャンスキープロデューサー(Francois Durand/by Getty Images)


電車を乗り継ぎ、スーパーでたくさんの食材を買って息子宅を訪ねるエレナ。郊外のボロアパートだ。暇そうな若者たちがたむろする玄関、落書きだらけの廊下の壁。せせこましい室内には、夫婦とゲームに熱中している思春期の子供と赤ん坊。

セルゲイ一家の描写からは、ロシア社会の貧富の差と貧しい者の鬱屈や退廃がくっきり浮かび上がってくる。妻子を抱えて無職で引きこもりのセルゲイから、長男サーシャの学資支援を求められ、帰宅したエレナはウラジミルに相談するも、つれない返事。自分の一人娘には甘いのにと、エレナは思わず厭味を漏らす。

セルゲイが無職になった理由は明かされないが、妻には威張ってビールばかり飲み、自堕落が身に付いてしまった彼が、再婚したエレナの金持ちの夫から取れるだけ取りたいと思っているのは明らかだ。そのセルゲイにそっくりなサーシャが、親の望むように大学に進んで勉学に励み、この環境から脱しようと一念発起するだろうといった希望的観測も、彼の行動を見る限りまったく持てない。

そんな中で、息子夫婦を諭すでもなく、甘やかすだけのエレナ。ここにあるのは、富裕層の男性に下層の女性が経済的に依存し、その女性に子供たちが依存しているという構図に加え、誰もが自分と身内のことしか考えていないという寒々とした風景だ。

若い頃のポートレートには、希望に満ちた笑顔の美しいエレナが映っている。だが現在の鈍重さを感じさせる太り気味の体、夫の機嫌を窺うような眼差し、憂鬱と諦めの混じった表情からは、彼女がこの社会で生きてきた中で徐々に、誇りと闘う気力を奪われてきたことが窺える。

エレナが身につけているトップスのセルリアンブルーは、彼女の疲れ膠着した心を示すようだ。

「人より財産が多いってだけでしょ」

急転直下の展開は、ウラジミルが心臓麻痺で倒れたことに始まる。

ここで登場するウラジミルの一人娘カタリナは、エレナとは正反対のタイプ。守銭奴の父を嫌い疎遠になっている彼女は、歯に衣着せぬ皮肉屋だが、表情と言葉の端々に自立心の強さと頭の良さが滲む。彼女の口から発せられるロシアの現代社会への痛烈な批判は、この日本の社会にも通じるものだろう。

「あなたは夫を気遣う妻をうまく演じている」と、カタリナから正鵠を射られたエレナは、しかしこの時既にうっすらと、自分が重大な決意をすることを感じていたかもしれない。ウラジミルを見舞った後の教会での祈りも、「うまく演じる」ためのものだったのではないか。

退院し自宅療養することになった夫が、遺言書に書こうとする内容を知って、エレナの中に大きな落胆と不満がわき上がる。ここで彼女の発する「人より財産が多いってだけでしょ。”弱き者”が先よ」という言葉は、ドラマ中で唯一、彼女が夫に対してした根本的な批判だ。この批判は、どれだけ働いても大した財産を作れぬ多くの労働者が、最初から持てる階層の者に向けて放つ怨嗟の声そのものだろう。

遺言書を書かれてしまったら終わり。その強い焦燥から彼女が遂行する重大な行為とその結果の一切が、一貫して淡々と描かれる。
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文=大野 左紀子

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