伝統は特別なものじゃない 「残すべき」より「残ってほしい」か

貝沼航さんが手がける漆器「めぐる」

最近、着物をワンピースに仕立てた直したものをよく着ています。海外に住んでいたときには、パーティなどで日本らしい格好で来てくれないかというリクエストが多く、着物も活躍していたのですが、日本に戻ってからはあまり着る機会がなくなってしまいました。

タンスの肥やしにするのにはしのびないし、日常的に着物を着ることができないかなぁと考えて、行き着いたのがワンピースに仕立て直すこと。ワンピースであれば、上にジャケットを羽織ればビジネスの場でも着用できるし、着付けもいらないので出番が増えます。

この「着物ワンピース」を着ていくと、周囲からのリアクションは大きく分けて2つありました。1つは、「伝統ある着物をそんなふうに着るなんてけしからん!」という批判。それとは反対に、「日頃から着ることができて、すごくいいアイデア」という嬉しい意見。

他にも、人によってさまざまな反応を示すなか、令和という新時代になったのを機に、イタリア人の友人から「元号や着物などの伝統は残すべきか?」という問いかけがありました。そこで、今回は、各国の友人たちが、「伝統」についてどのように考えているか、少し紹介したいと思います。

イタリアらしい伝統の残し方

アメリカ人の友人たちは、「個人がどうしたいか決めればいいこと。伝統を残したい人はそうすればいいし、残す必要はないと思うならやめればいい。あなたのように、いまの時代に合わせた形に進化させたい人はそうすればいい。それを他人にとやかく言われる筋合いはない」と口をそろえて言います。

確かに、私が、日本でも歴史のある企業の仕事に着物ワンピースを着ていくことを躊躇しなかったのは、「私は自分がいいと思ったことをやる」という、アメリカ時代に培ったマインドがあったからだと思います。

フィレンツェへ留学していた時代のイタリア人の友人たちは、スターバックスがイタリアで第1号店(2018年・ミラノ)を出すまでに、なぜ、あれほど時間がかかったのかという観点から、伝統に関する考察を始めています。

彼女たちいわく、イタリア人にとってコーヒーを飲むというのは、18世紀から続く社交としての文化であり、カフェ・ソスペーゾ(お金に余裕がある人が、カフェで2人分のコーヒーを注文し、後から来る貧しい見知らぬ誰かのために代金を払っておくこと)のような人を思いやる場でもあったので、スターバックスが「コーヒー」というアイテムを使って、サービスのチェーン展開を始めても文化にそぐわず、難しいだろうとのことでした。



とはいえ、アイスコーヒーというもともとイタリアにはなかったものが、後から入ってきたものが根付いたところから考えると、伝統的な文化というものは、必ずしも静的ではなく、動的なものもあるだろうとも付け加えてくれました。そして、イタリア人が伝統として大切にしている要素を理解したうえで、地域社会や文化と融合しながら発展していくのが伝統の残し方だというのが結論でした。
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文=秋山ゆかり

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