卒業生たちに向けて講演を行う人が若者の人生を変える得ることを、スミスはよく知っている。自分自身の卒業式で演説した人が、自らの人生を変えたからだ。
コロンビア大学ビジネススクールを1994年に卒業したスミスは、マーケティングの分野でキャリアを築きたいと考えていた。化学エンジニアとしてクラフト・ゼネラルフーヅ(現クラフト・ハインツ)やグッドイヤー・タイヤ・アンド・ラバー・カンパニーなどで製品開発に携わった経験を持つスミスにとって、ウォール街で働くことや投資家になることは、全く頭になかった。
スミスの卒業式で講演を行ったのは、アフリカ系米国人の経営者が率いる投資銀行の先駆けであるユーテンダル・グループの創業者、ジョン・ユーテンダルだった。卒業式の後、スミスを昼食に誘ったユーテンダルは、彼に投資銀行で働くことを勧めた。スミスが金融大手ゴールドマン・サックスで職を得ることになったのは、ユーテンダルの助けがあったからだ。
キャリアを積み独立
その後、スミスはゴールドマン・サックスに6年間勤務。昇進を重ね、最終的にはサンフランシスコにある同社のエンタープライズシステムやストレージの分野で企業を支援する部門の共同代表に就任した。ユーテンダルはこの間も、積極的にスミスを指導したという。
そしてスミスは2000年、当時の顧客の1人の支援を得て、投資会社ビスタ・エクイティ・パートナーズを創業した。投資対象をソフトウェア会社に限定するビスタの出資約束額は、総額およそ460億ドル(約5兆円)に上る。ウォール街でも、トップクラスの利益を上げる企業だ。
創業当時、未公開株に投資する人たちの大半は、ソフトウェア会社を避けていた。銀行が融資したがらない企業だったためだ。だが、ウォール街はソフトウェア会社がメンテナンス契約から継続的な利益を得ている安全な投資対象であることを認識し始めていた。スミスはそれまでの状況は変化すると確信した。
スミスのその考えは正しかった。現在では未公開株に投資する主要なファンドのほとんどに、ソフトウェア分野の担当チームがある。