脆さへの恐れ、再生への憧憬
さて、売れ行き1000万部という出版史に残る快挙の理由は何なのか。まずは言わずと知れた著者自身のカリスマ性。そして、ブルーカラー・ワーカーが住むエリアで育った、決して裕福でない少女時代の描写は読者と著者の距離を冒頭から縮める。教師から「プリンストン大なんて絶対無理」と言われながら初志を貫徹した不屈さや、「一度も政治が好きだったことはなく、今でもそれは変わらない」という率直さも世界中の読者の心をつかむのだろう。
が、ほかにも、人間の、または世界の「傷つきやすさ」を人一倍恐れる彼女の、決してタフなだけでない素顔が共感を呼んでいるのではないだろうか。
著者は本書中で、人間の「resilience and vulnerablity(「自発的治癒力と脆弱性/傷つきやすさ」。心理学でもよく言及される対立概念)」について繰り返し書いている。夫に24時間密かに寄り添う覆面大砲とライフル銃。家族の行動は分秒刻みに報告され、娘の学校行事にもイヤホンをつけたシークレットサービスが同行する。そこまで厳重に守られていることが雄弁に物語る、うらはらな危険。権力を手に入れてこそ感じる自分たち家族の「脆さ」は、計り知れなかっただろう。
「再生する力と脆弱さ」についての意識は、たとえば「フロリダ乱射事件」に直面した夫の苦悩(オバマ前大統領の「涙の会見」は大きく報道された)に接し、犠牲者の家族とも関わって、生命や幸福の脆さに晒されたことでも高くなったかもしれない。さらに、夫の在任中には、夫妻が心を痛めた東日本大震災もあった。
彼女が描写するバラクの魅力に、「ナイーブ(純粋すぎて騙されやすかったり、傷つきやすかったりする傾向)には陥らない楽観」がある。ミシェルが夫のその「現実主義でいながら楽天的でいられる本質」に惹かれ続けるのは、人の再生力に期待しながらも「脆弱さ」を人一倍恐れる彼女の傾向に、理由があるのかもしれない。
よく知られたタフネスとは表裏の、著者のそういう「繊細さ」が本書の第2の通奏低音にもなっていて、自分だけが知り得たミシェルの素顔のような錯覚を起こすし、人にもなんだか話して自慢したくなるのだ。
全編を聴き終えた後、「まえがき」に戻ってみた。そこには、8年間のファーストレディーとしての務めを終え、シカゴに住まいを定めた後の明け方、ふと目を覚ました著者がキッチンに降りる描写がある。静寂と黎明のうすい光の中、8年ぶりで「誰にも世話されず一人で」トーストを焼く著者の心象が改めて鮮やかだ。
ファーストレディー。それは、大統領と違って定められたジョブディスクリプションも義務もない、給料手当もない、実に不思議な身分だ、と語る著者が、「元ファーストレディー」というこれまた非公式な身分を始めて2年。毎朝のトーストはようやく1人で焼けるようになっても、未曾有のベストセラー著者となった彼女を取り巻く世界は、かえってこれから、騒がしくなりそうだ。
日本版は集英社より刊行予定。