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2019.05.21

「社会を良くする」は大きすぎる 渋谷を変えるプロジェクト誕生秘話

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その流れを変えたのが、2011年の東日本大震災だった。この緊急時に、前述の駒崎氏や今村氏をはじめとする社会起業家たちが果敢に被災地に赴き、企業や行政といった垣根を越えて協働し、「ハタチ基金」や「コラボ・スクール」など、支援事業を次々と形にしていった。

それから2年半後、私は東北の被災地で、まちづくり支援活動に関わる機会を得た。行政が進めていた巨大防潮堤建設に違和感を持っていた市民の声を集め、行政との対話の場をコーディネートしていく役目だった。そこで、釜石市のクロスセクターによるまちづくり支援団体「釜援隊」や、福島でステークホルダーの対話によって高校を作り上げた「ふたば未来学園」など、組織の垣根を越えた協働を目の当たりにした。また、様々なセクターで活躍する多くのキーマンと出会うことができた。



ステークホルダーの思いをベースに、それぞれが理想的なまちの姿を描き、対話し、理解をする努力をしながらまちづくりを進めていく姿は、とても新鮮に見えた。そこからローカルヒーローが生まれ、つながり合い、大きなビジョンに向かって進んでいる姿勢に感動した。そして、このようなまちづくりの仕組みを都市部でも行えないだろうか、という思いが自分の中に芽生えていった。

「社会を良くする」は大きすぎる

その後、フューチャーセッションズに入社し、東北で見た仕組みのプログラム化を始めた。様々な企業や行政に対して、新規事業創出や組織風土改革、ファシリテーター育成などを行っていたが、それら一つ一つが「点」のままで、「線」になっていかない感覚があった。

また、「社会をよくする」という言葉は聞こえは良いが、あまりにも大きすぎて途方に暮れていた部分もあった。この点を線にし、面にしていくには、むしろ的を絞って、なにか旗頭になるような事業の創出が必要だと感じていた。

そんな時、会社が所在していた渋谷区では、無所属の長谷部 健氏が区長に就任。広告代理店勤務を経てNPOを起業、その後区議会議員に転身するなど、まさに全セクターを経験してきた全国でも稀に見る首長の誕生だった。

長谷部区長のリードのもと、渋谷区は、市民同士の対話によるまちづくりを推進し、区内の企業や大学等と協働して社会課題を解決するための公民連携制度「S-SAP協定(シブヤ・ソーシャル・アクション・パートナー協定)」を制定。そして2016年10月、「ちがいをちからに変える街、渋谷区」という基本構想が生まれた。

これらの渋谷区の大きな動きを受け、思わず「これだ!」と閃いたのが、冒頭の「渋谷をつなげる30人」だ。

エリアを渋谷区に絞り、その中で活動をする企業・NPO・市民・行政のキーマンをつなげ、セクターのちがいをちからに変え、まちの課題解決を行うコミュニティをつくりたい。そして、まちを愛する力「シビックプライド」を持つローカルヒーローをどんどん生み出していきたい。まずは渋谷区にリソースを集中してモデルを作り、それを横展開していきたい。

道筋が鮮明に見えた。すぐさま区に提案し、全面協力を得て、準備期間約2カ月でプロヘジェクトを始動。第1期メンバーの募集を開始した。

それから3年。この取り組みも2018年度で第3期を終え、「渋谷をつなげる30人」ネットワークは90人となった。次からはこのプロジェクトからどんなアイデアが生まれ、渋谷区にどのような変化を起こしているのかを紹介していきたい。


「渋谷をつなげる30人」第3期のメンバー。3月に行われた最終報告会にて。

文=加生健太郎

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