高野山に集まる企業戦士。受け入れる空海の懐

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近現代になっても、空海を慕う人は絶えない。和歌山県出身の実業家・松下幸之助は昭和13年に、亡くなった従業員の慰霊塔を奥之院に建立している。その後、昭和の後半から数々の名だたる企業が企業墓と呼ばれる慰霊塔や供養塔を建てるようになった。社員への思いを表すとともに、歴史ある高野山の奥之院に企業墓を建てることは、企業の価値を高めることにもつながったようだ。

自社製品や自社キャラクターを模した石碑、事業内容を彷彿とさせる石像など、個性を感じさせるものも多い。そして、企業墓にはもう一つ特徴がある。それは、訪れた人が名刺を入れる「お名刺受け」があること。つまり、名刺を入れておくことで、自分がその企業墓を訪れ、お参りしたことを伝えることができるのだ。

すべてを包み込むこの山で、戦うことをもう一度見つめ直したい

戦いに明け暮れた武将から変化の激しい時代を生きるビジネスパーソンまで、現実と格闘する人々の心を受け止めてきた空海。高野山とその周辺には、空海と関係の深い寺社がある。それが慈尊院と丹生都比売神社だ。

空海の母は、高野山を開いた息子に会うため香川から訪ねてきたが、高野山は女人禁制だった。そのため山麓の慈尊院に滞在したという。空海は月に何度も山を下りて母に会いにきたという。そのため、慈尊院は高野山参詣の玄関口とされている。

この慈尊院と高野山の間に位置するのが、丹生都比売神社だ。1200年前、修行道場を開くべき場所を探していた空海の前に、黒と白の犬を連れた狩人が現れ、高野山に導いたとされている。この狩人とは、丹生都比売神社のご祭神である丹生都比売大神の御子だという。そして空海は丹生都比売神社の神領地を借り受け、高野山を開いた。なお、慈尊院と丹生都比売神社は、高野山とともに「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産(文化遺産)にも登録されている。慈尊院と丹生都比売神社、そして高野山と併せてお参りするのがおすすめだ。

人々の信仰心が歴史を紡いできた世界遺産の地、高野山。1200年もの間、人々の心の拠り所であり続ける聖地は豊かな緑に包まれている。そこに流れるゆったりした空気は、常にさまざまなデジタルデバイスでつながり、情報に追われている忙しいビジネスパーソンにとっては非日常を感じさせてくれるはず。異能の人・空海が開いた静寂の高野山を、ぜひ一度訪れてみて欲しい。

文・写真=吉田渓

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