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空海にまつわる伝説は他にもある。焼いた魚を生き返らせた片目鮒伝説や塩漬けの鯖を生き返らせた話、杖を地面に挿したらその地に根付いて桜の花が咲いた話など、各地に残っている。

そうした伝説に彩られる宗教家でありながら、空海は現実社会にさまざまな貢献をしている。その代表的なものが、香川県の満濃池だ。現在も日本一の溜池として知られる香川県の満濃池は、818年(弘仁9年)に決壊した。復旧が求められたが、そのための技術や人手が足らず、作業は進まなかった。そんな中、満濃池の改修工事を任されたのが、空海だった。

実は空海は留学先の唐で、仏教だけでなく最新の土木技術も学んでいたのだ。民衆に慕われた空海のもとには多くの人が集まり、改修工事は3カ月あまりで完了したと言われている。他にも、庶民教育のための私学「綜芸種智院」の設立など、さまざまな社会事業を手がけたことで知られている。

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宗教家の枠を超え、さまざまな叡智をもたらした空海は、多くの人に慕われた。そのそばで眠りたいと多くの人が願い、高野山の奥之院の参道には20万基もの墓や供養塔が建てられた。奥之院は、空海を慕う人々の思いを受け止める場所なのだ。

奥之院の参道には三つの橋があるのだが、「お大師様は最初の橋である一の橋まで参詣者を迎えにきてくれる」とされている。二つ目の中の橋は、金の河と呼ばれる川にかかっている。金は死を示すことから、ここは三途の川であり、中の橋を越えることは「あの世」に入ることを表す。さらに、三つ目の御廟橋を渡ると、そこは「お大師様」の世界。聖域のため、ここから先の撮影は禁止だ。

参道の先にあるのは、弘法大師御廟。「お大師様は今もなおこの御廟で生き続け、人々の幸せを祈り続けている」とされているため、朝昼二回の食事が毎日届けられているのだ。

信仰の中心地として人糸の崇敬を集め続けてきた弘法大師御廟。そこへ続く奥之院の参道には、織田信長や明智光秀、伊達政宗、井伊直政など、誰もが知っている歴史上の人物の墓や供養塔が並ぶ。興味深いのは、武田信玄・勝頼親子と上杉謙信・景勝親子の供養塔が、道を挟んで斜向かいに位置していること。生きている間は争っていた者同士が向かい合って眠っていることからも、ここが特別な場所であったことが伝わってくる。


文・写真=吉田渓

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