グラウンドがあった場所には、少年野球向けの人工芝球場ができた。この日はちょうど少年野球の試合日で、もうすぐ試合が始まろうとしていた。ホームベース後方から写真撮影していると、少年野球のコーチらしき男性が近づいてきて、「試合前なので、フィールド内に自由に入って撮影しても良いよ」と声をかけてくれた。せっかくなので、フィールド内を一周してみることにした。
ライト側には当時を彷彿させる大きなフェンスが今でもある。左の強打者がそこにあったフェンス越えの本塁打を次々と打ち、その後方にあったビルの窓ガラスが毎年20~30枚割れたという。目の前にあるフェンスを見上げて、耳を澄ませば、強烈な打球がフェンスを越える音と共に、大きな歓声が聞こえ、その直後に「パリーン」とガラスが割れる音が聞こえるような気がした。
グラウンド跡地にできた、少年野球用の人工芝の野球場。
ディマジオの記録は、翌日、ミュニシパル・スタジアムで行われた試合で途切れたが、その後、彼は更に17試合連続安打を記録した。その試合でケン・ケルトナーやルー・ブードローが好捕した打球のうち1本でもヒットになっていれば、74試合連続試合連続安打記録が生まれていたかもしれない。
ディマジオは1943年に入隊し、3シーズン軍の中でプレイした。そして、大記録から10年後の1951年、彼は、フランク・オドゥール監督率いる全米オールスター・チームの一員として来日した。ディマジオは、神宮球場で行われたセントラル・リーグとの試合で、中日の杉下茂投手から現役最後となる本塁打を打った後、引退し、静かにバットを置いた。
連載:「全米球場跡地巡り」に感じるロマン
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