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「全米球場跡地巡り」に感じるロマン


1941年といえば、日本軍が真珠湾攻撃を行い、第二次世界大戦に突入した年だ。真珠湾攻撃の5週間後、ケネソー・ランディス初代コミッショナーは、野球を継続すべきか否かについて、フランクリン・D・ルーズベルト大統領に伺いを立てたところ、ルーズベルト大統領は、「野球を続けることが我が国にとって最良だと心から考える」と野球の継続を指示した。そんな時代に未だ誰にも破られていない2つの大記録が誕生し、アメリカ市民の士気を高揚させたのだ。

野球選手は、イタリア、アイルランド、ポーランドなどからの貧しい移民の憧れの存在だった。当時、各地のイタリア人街では、アパートの火災非難装置の上にラジオが置かれた。ディマジオはヒットを打ち続け、ラジオのアナウンサーは番組を中断して速報を流し、人々は通りを歩きながらディマジオの出場する試合の経過が聴けた。

とりわけ、この1941年、イタリア系移民は、彼らのヒーローであるディマジオの連続試合安打記録に興奮し、熱狂し、そして心を奪われた。まるで、1995年に野茂英雄投手が衝撃的なメジャーデビューをし、フォークボールで、メジャーの強打者相手に三振の山を築いた時や、2004年にイチロー選手がシーズン最多安打記録を更新し続けた時の日本国民のように。

ディマジオの56試合連続安打が記録されたリーグ・パーク跡地を訪れた。1951年に球場が取り壊された後、跡地には、リーグ・パーク・センターというレクリエーション・コンプレックスができたが、1909年に完成した二階建てのチケット・ブースと煉瓦造りの壁はずっとこの場所に残され、1979年にアメリカ合衆国国家歴史登録財に登録された。そして、2014年8月にクリーブランド市よる数年がかりの改修工事が終了し、当時の美しさを取り戻した。

煉瓦の壁には、サイ・ヤング、サチェル・ペイジ、ベーブ・ルース、ボブ・フェラーなど、この球場でプレイした選手の壁画があった。プラザと呼ばれる歩道も完成し、この球場にとって節目となる年が刻まれている。1979年に設置された記念碑もあった。


リーグ・パーク跡地にある、煉瓦の壁と記念碑。

チケット・ブースの中には、それまでダウンタウンにあったベースボール・ヘリテージ博物館が移転してきた。このヘリテージ博物館は、ジャージー・ストア経営者が1997年のオールスター期間中、ニグロ・リーグ関連のメモラビリアを店内に展示したのがきっかけで野球博物館になったという。リーグ・パークで実際に使用された座席はもちろん、この球場を本拠地としていた球団の数々の歴史がぎっしりとつまった博物館だ。

文=香里幸広

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