温めていた志と確信
私は学生の頃から「いつか起業したい」という志を温めていましたが、外資系の航空会社で客室乗務員をしていた頃に、ブランディング事業を手がけたい、と考えるようになりました。
外資系企業に入社して実感したのは、自分がやりたいことは、できるようになるまで待っているのではなく、つかみ取るものだということでした。自分の強みや魅力をどんどんアピールし、周りを巻き込んだ上で、「自分の価値を知ってもらい、ファンになってもらう」、つまりパーソナルブランディングの大切さと可能性を強く感じたのです。
そしてパーソナルブランディングこそが、これからの日本人に必ず求められる素養であり、グローバル社会の中で生き残るために必要不可欠と確信したのです。
客室乗務員としてお客様に喜んでいただくことを生きがいに仕事をしていく中で、ひとりで接することのできるお客様の数に限りがあることを感じ、1対1のサービスではなく1対nのサービスを展開する手段として、インターネットに大いなる可能性を見いだしました。
そこで、インターネットを通じてパーソナルブランドを確立する事業を立ち上げることにしたのです。
このビジョンを周囲の人に伝えた時、「さすがだね」「その通りだと思う」「応援する」という温かい言葉をいただき、不安を抱きながらも「きっとうまくいく」と確信を持って起業に踏み切りました。
しかし、その当時恥ずかしながら私はパソコンもインターネットも完全に門外漢でした。客室乗務員の仕事を辞めてから、まず行ったこと。それはパソコン教室に通うことでした。
周囲の反応は冷ややかだった
パソコン教室にいる人たちに自分の夢を語った時に、返ってきた言葉は予想に反して冷ややかなものでした。
「ふーん。でも、今は無職なんでしょう」
さらに、私が会社を辞めると今まで温かい言葉をかけてくださっていた人たちさえも徐々に離れていき、これまでのような前向きな反応は誰からも返ってこなくなりました。
その時に私は、初めて気が付きました。起業しようとしている私自身でさえ、自分に自信を持って話をしているのではなく、「元客室乗務員」という肩書に乗っかって話をしていたのだと。そして、今までは「客室乗務員の河本」の言葉だったから、世の中の人たちは私の言葉を聞いてくれていた。でも、その職を失ったら、私の言葉に価値を感じる人はいなくなってしまったわけです。「無職なんでしょう」という一言で、その現実を思い知らされたのです。
35歳の時点で、私は「無職の河本」という何のブランドも持たない、誰からも価値を感じてもらえない存在になっていました。
一度痛い思いをしても、人は同じ失敗を違う形で何度も起こしてしまうものです。起業して早い段階で出資をいただけるようになってからも、同じようなことは起こりました。出資をいただいたということは、会社には資金があるわけです。そこに集まっていた人たちにとって、私の会社は「お金がある会社」でした。
やがて、資金がどんどん出ていってお金が底をつきかけると、人がひとりふたりと去っていき、寄りつかなくなりました。「お金がある会社」に引き寄せられた人は、お金がなくなればいなくなるのです。
とうとう誰もいなくなり、自分自身のブランドを作らないと、そしてファンになってくれる人をつくらないと周りから人がいなくなってしまうことに、改めて気付かされました。