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世界38カ国、800万人が愛読する経済誌の日本版

左から孫正義、イーロン・マスク

一聴すると凡人には常識外れに思えることをとにかく諦めずに続け、いくつもの挑戦の中からたったひとつの金脈を見つける偉人のクレイジーとも言える熱狂列伝を3回に分けて紹介しよう。




「普及はミッションインポッシブル」と言われてきたEVを、これだけ有名にした功績は大きい。彼のクルマ作りの新しい点は、伝統的なメーカーの評価軸で勝負せず、クールな高額嗜好品であれば良いと割り切ったことだ。

耳目を集める機能にリソースを集中し、「乗って運転できる最新トレンド」を販売することは、富裕層のニーズに合っていた。良いクルマに散々乗ってきた彼らは、新しい刺激に惹かれたのだ。

CO2排出権ビジネスで経営を支え、物作りやアフターサービスもギリギリで乗り切る様はベンチャーそのものだが、テスラは革新の萌芽か、それとも無謀な突貫か。その行く末をライブで楽しもう。



孫正義は中学生の時、成績表を携え福岡市内にある有名な進学塾の門を叩くが、「その成績では入塾レベルに達していない」と門前払いとなる。孫は同級生の母親が塾長と知り合いだと聞きつけ、その同級生と彼の母親同伴で熱心に直訴しなんとか入塾を許可された。

無事志望校に合格した後、孫は中学校の担任の教師をレストランに呼び出し「自分が通った塾はA高、B高に強いが、そのライバル校であるC高、D高の合格請負塾があってもいいのではないか。高校生になる自分は表立って経営できないので裏で事業計画を練る。だから先生が代表になってくれ」と提案。周囲の人間を巻き込み目的を達成しようとする交渉術はその頃から片鱗を見せていた。

結局その計画は頓挫するが、高校生になり、またもや常人ではない行動力をみせる。マクドナルドの当時の社長である藤田田の著書を読み感銘を受けた孫は、藤田に面会を申し込むのだ。何度も断られた末に面会にこぎつけると、孫は藤田に「これから有望なビジネスとは何か」と尋ねた。藤田は「自分が若かったらコンピュータのビジネスをする」と答え、それが現在と結びつく。凡人が考えつかない、いや、考えても実行できないことをする孫には少年の頃からその兆しがあったのだ。



静岡県浜松市の病院から精密機械の修理を請け負っていた山葉寅楠。たまたま地元の小学校にあった非常に高価な外国製オルガンの修理を頼まれ内部をみたところ、「これは45円もするものだが、自分なら3円でつくることができる。国産のオルガンが普及すれば国益にもなるはずだ」と思いつく。

早速、オルガンの構造を図面に起こしたものの資金がない。その頃に飾り職人をしていた河合喜三郎と出会い意気投合、二人三脚が始まった。最初につくったオルガンはどうも調律が合っていないらしいということが判明するも、音階という概念が一般的でない時代、どこをどうブラッシュアップしたらいいのかわからない。山葉は東京にある音楽取調所(現・東京藝術大学)でみてもらうために、重たいオルガンを担いで上京する。

教授たちは山葉がオルガンを自作したこと、そしてそれを浜松から担いで来たことに驚いたという。所長の厚意で聴講生となった山葉は基礎と調律を勉強、2台目の制作に取り掛かる。すると今度は教授たちからお墨付きが。このオルガンがプロトタイプとなり、その後オルガンの需要は増え続ける。わずか1年後には会社の規模も拡大し、海外にまでオルガンを輸出するようになった。

文=三井三奈子 写真=Getty Images

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