──シアトルで、フォーチュン500の企業のうち数社を訪ねたとか。その目的について教えてください。
ニュージーランドのウェリントンで投資を集める活動を1カ月してから、シアトルに行きました。まだ製品はできていなくて、アイデアだけの時です。シアトルは最初のビジネス「STORY」を立ち上げたときの仲間、共同経営者がいる街だったので、その縁で。
シアトルは税金の1%をアートに投資していて、文化振興に非常に力を注いでいる自治体です。着いてすぐ、市の文化部の人たちとミーティングをしたんですが、彼らがすごく興味を持ってくれて、シアトル「市」が最初から私たちを援助してくれました。
シアトルは、ミニシリコンバレーみたいな街です。アマゾンやマイクロソフトやT-モバイルがあり、テクノロジーカンパニーのスタートアップもたくさんあります。
それから3年くらい、シアトルとウェリントンを行ったり来たりしました。1週間に100時間ほど仕事をする、毎晩そのままデスクの下で寝て7時に起きて……という生活でしたが、これまでの人生でももっともすばらしい3年間でした。
──投資家はどうしてあなたに投資するのでしょう?
ずばり、それはパッションだと思います。投資家は「人」に投資しますよね。私の投資家は、私が人生の100%を自分のアイデアに注いでいて、成し遂げるまで止めないことを知っていました。
年170億ドル規模の市場にノーと言えないというのもあると思います。それから、実績。スタートアップ企業は5〜10年まで利益が出ないのが普通ですが、私たちは初年度に利益を出しました。投資家に、リスクをほぼゼロにするべく努力し、投資しやすいようにしたかったのです。
でも、投資を受けても、運用して行けば1年後にはまたお金が必要になります。投資家は常に必要です。ある時は、空港で偶然会った初対面の人との雑談から始まり、投資の話を取り付けたこともあります。
──あなたのその「起業家精神」はどこから来ていると思いますか?
2歳のとき、母から、「大きくなったら大学に行きなさい」と言われたんです。大学を出て、ちゃんと仕事をしなさいと。
両親はとても勤勉な人たちでした。私が4歳の時に、トルコからニュージーランドに移住しました。2人とも経済学の学士号を持っていたのにレストランで働いて、私と弟を育ててくれました。両親に「働いていない」時間があったのか、覚えていません。丸1日休むなんてことは、なかったんじゃないでしょうか。
大学に入ったときは、「ええっ、こんなはずじゃなかった」って思いましたね。時間を投資しても、知識や経験のリターンがなかったんです。それで、すぐにやめようと思いました。これも、時間を決して無駄にしなかった両親の影響だと思います。彼らは私が大学をやめた時にすごくびっくりして、今でも、「今やっていることが段落したら大学に戻らないのか」と聞かれますけれど。
自分の未来は、自分で切り開きたい。誰かを待っていられないんです。