小田切は「日本の公共のあり方を少しでも変えることができるならば、無償でもこの構想を実現させたい」と思い、石山と共に40歳以下の官民混合の理事を集め、さらに落合陽一やメルカリ社長の小泉文明らを「ビッグピクチャーボード」に迎え、その年の10月にPMIを立ち上げた。観光やアグリテックなどの政策分科会を設け、月に1度、官僚や経営者、弁護士らを招いて議論する。
中間総集編として「イノベーション政策会議」を開催。 若手官僚や経営者、弁護士ら総勢50人が集まった。(PMI提供)
結果、「化学反応」が起きている。
例えばアグリテックの分科会で、農林水産省の若手官僚が、牛乳の生産量を維持するコストの課題を話した。すると、培養肉を手掛けるスタートアップの社長は「牛乳の生産量を維持する必要ってあるんですか」と疑問を投げ掛けた。「大豆飲料などに置き換えれば、本物の牛に頼らなくてもよいのではないか」と。
「霞が関には過去と現在の情報しかない」
ある若手官僚の言葉だが、石山はこう考える。
「平成は『失われた30年』と言われるけれど、豊かさの前提が変わってきた今こそ、過去の積み重ねではなく未来逆算型の議論が必要とされている」。今年中にPMIとして、分科会の議論を踏まえて、公共とIT産業界が協調して「未来のあるべき姿」を提示する。石山の構想では、その名も「ブルーペーパー」、つまり「青写真」だ。
熱意を持って社会に働き掛ける石山の原動力は何か。彼女は「使命感」だと打ち明ける。12歳で両親が離婚し、心の葛藤を経験した。そんな時、「社会のために生まれた」と使命感を持つことで、自らの存在意義を実感できたのだ。それが今は純粋な好奇心に変わった。
「私は変わっていく社会を見てみたい。ただ、それだけです」
「内閣官房シェアリングエコノミー伝道師」など様々な顔を持つが、石山は「未来の社会像を最初に問い掛ける人でありたい」という。