週末遊牧民として過ごす──森と都市を旅して仕事するライフスタイル

我が森にキャンピングトレーラーがやってきたのは一昨年秋。台風通過直後で、ぬかるみの中、どうにか引きこんだ。


普段、僕は大都市、つまり東京で仕事をしています。スタジオではデジカメをMacにつなぎ、編集者さん、デザイナーさん、クライアントさんらに囲まれて、なにか先端感を出している時もあります。カメラマンという仕事柄、機材が多いため行き帰りは車で首都高をビュンビュン走らせています。

はたから見れば、立派な都会人のようですが、時に強烈なアウェイ感を持っているのも事実です。これは僕が信州の標高1000m近い山村で生まれ育ったからかもしれません。ここではないどこか──。そんな言葉が頭をよぎることもあります。

よりシンプルに。

森の中に自分だけの空間を持ちたいという願望は20代のころからありました。学生時代に読んだソローの「森の生活」の影響なのか、あるいは僕自身が山国の生まれのせいかもしれないし、学生時代に山岳サークルに所属していたからかもしれません。ただ、その願望には強弱の波があり、願望が強くなるのは決まって仕事がハードな時期と重なっています。つまり、本能的に体が、あるいは心がリトリートを求めているかもしれません。

そんな時にいつも頭には浮かぶのは、ソローがかつて森の中に自力で建てたごくごくシンプルな小屋。暖炉が一つに家具と言えばベッド、テーブル、イスしかない小さな小さな空間。森の中に建つ家といえば、日本で言えば通常、「別荘」という存在があります。でも僕が欲していたのはそういう類ではなかったし、今もそうです。

欲していたのは、「何もない」ということ。名所は観光地にもあまり興味がない。

普段の僕は、都会では物にあふれた生活をしています。仕事部屋はPC機器や撮影機材が崩れ落ちそうです。フィルム時代の膨大な現像済のフィルムも捨てるに捨てられません。自宅のクローゼットも洋服であふれています。断捨離ができません。だからこそ、森では「とにかくシンプルにシンプルに」と自分に言い聞かせています。

ソローはこう言っています。

「簡素に生活をする気になれば、もっと楽しい生活が始まる」

ある意味、ミニマムな森暮らしは小さな実験の場でもあります。

文・写真=小林キユウ

ForbesBrandVoice

人気記事