エリックのInnovation and beyond

松武秀樹氏

70年代、急速にテクノロジーが進歩し、日本がテクノロジー大国への道を邁進しようと盛り上がりを見せている最中、ある一人の天才アーティストが「コンピューターとセッションをする」という夢を膨らませていました。

生活の中にコンピューターが存在していない時代、コンピューターで音楽を演奏することなど想像すらできない──そんな時代に3人の天才ア—ティストと高度な技術を持つコンピューター専門家が奇跡的に出会い、YMOという伝説のバンドが世界を舞台に登場しました。

天才アーティストとは、細野晴臣氏、坂本龍一氏、高橋幸宏氏、そしてシンセサイザーをコンピューターで操る専門家こそ、今回ご紹介する”第四のYMO”と呼ばれた松武秀樹さんです。

今回は、イノベーションの最前線に立ち、世界を舞台に活躍された松武さんが考える伝統とイノベーションについてお話しをうかがっていきましょう。

シンセサイザーとの出会いに「魂を持っていかれた」

松武さんと音楽との出会いは、サックス奏者だった父親の下で育った環境にルーツがありました。父親の影響で、学生時代はブラスバンドでトランペットを演奏していたそうです。

シンセザイザーとの運命的な出会いは1970年。大阪万博のアメリカ館でシンセサイザー奏者ウォルター・カーロスのアルバム『スイッチト・オン・バッハ』を聴いたことがきっかけでした。コンピューターやシンセサイザーが一般的に知られていない時代、全曲シンセサイザーの自動演奏で構成されたこのアルバムから、当時計り知れない衝撃を受けたといいます。

「自分で演奏できたから、楽器の音にはそれなりに自信もあったし、分かっていたつもりだったんですよ。でも万博で初めて聴いたシンセザイザーの奇妙な音には心底ぶっ飛びました。魂を持っていかれたような感覚になったのを今でも鮮明に覚えていますね。会場を後にしても、あの『音』が耳から離れませんでした」と松武さん。

後になって、それが「モーグ」という名前で、シンセサイザーという楽器の音だったと判明。そこから、未知の世界だったシンセサイザーとコンピューターによる自動演奏にどんどん惹かれていき、これを使った音楽を仕事にしたいと思うようになったと言います。

「そこから縁があって、日本のシンセサイザー奏者のパイオニアだった冨田勲先生に師事することになり、プロとして活動することに繋がっていったんです」

文=松永エリック匡史

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