中世ヨーロッパの歴史から見る「EU崩壊」

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パリのノートルダム大聖堂が、見るも無残に焼け落ちてしまった。大聖堂を訪れたばかりだった私は、悲報に触れて、数瞬、言葉を失った。

尖塔が焼失してしまった中、聖堂内の見事なステンドグラスやジャンヌ・ダルク像は無事であろうか。門前の露店に被害はなかっただろうか。アルベール・カミュの「カリギュラ」初版を自慢そうに陳列していた熟年の店主に、怪我はなかっただろうか。

なにより、混迷と分裂感を増しているフランス人たちの心の傷が心配になる。たちまち巨額の復旧資金が集まり、マクロン大統領は「5年以内の修復が可能だ」と豪語しているが……。


網のような足場が漠然と不安だった尖塔

日本の元号は平成から令和に改元された。日本の元号だから、他国には関係ないと言ってしまえばそれまでだが、平成がベルリンの壁崩壊とともに始まったことを思い起こすと、令和の幕開け直前のノートルダム大火に感じてしまうものがある。30年前と昨今のヨーロッパ情勢が同期してしまうのだ。理屈は立たないが、やはり改元には何かがある。

現在の世界情勢は、政治も経済も社会も、混乱、混迷、混沌の「3つの混」がキーワードになってしまっている。

「3つの混」の奔りは、すでにミレニアムの頃から萌していた。これらは本来、輝かしい未来を約束するはずのものであったが。

技術の面ではインターネットの普及に象徴される新たなネットワーク社会の出現、政治面では国際レベルの共同体的な仕組みの進展、経済面では前二者を踏まえたグローバルスタンダードの取引拡大である。

これらを集約的に、かつ従前の西欧的な秩序に異形とも言われる挑戦を続けている存在が中国だ。他方で、米国の長期低落傾向が顕著となってきた。しかもグローバル化の影の部分として、世界的に格差が拡大し、宗教的な要因も複層的に絡まったテロが頻発している。

つまり、地球社会は、先進技術やボーダーレス時代の恩恵にも増して、「3つの混」を呼び込んでしまったように見える。

「3つの混」の大きな要因が、「分断」である。米国で、ラストベルトに象徴されるless wealthyな白人層の不満が増し、分断のチャンピオンのような大統領を産んだことは、いまや人々の口端にも上らない日常風景になっている。イギリスがEU離脱を巡って真っ二つに分かれていることは周知のとおり。ドイツもメルケル首相の移民政策に対して国論が二分されている。

フランスの分断も相当に深刻である。「黄色いベスト」たちの暴動は、都市部と田園地帯の根深い利害の対立を表出させたが、ここへ来てマクロン大統領は、フランスエリート層の象徴である、国立行政学院(ENA)の解体を言い出している。たぶんに人気取り政策の色彩が濃いと言われているが、これに快哉を叫ぶ人々も少なくないという。

ヨーロッパでは、各国内の分断とともにEU加盟国間でも分断の兆しが見えている。ユーロ危機以降、財政規律が緩くEU内後進国ともみられるギリシャ、スペインなどと、財政規律が厳しい先進国のドイツなどとの溝が深くなっていた。ところが、最近では先進国と後進国との分断だけではなく、先進国であるドイツとフランスの関係に軋みが見られている。中国との向き合い方についても、ドイツ、フランスやイギリスとギリシャ、イタリアとでは温度差が大きい。

ここでどうしても思い浮かべてしまうのがヨーロッパの歴史だ。「歴史は繰り返す」のどうかはわからない。唯物史観はこれを明確に否定するし、字義から判断しても矛盾するような気がする。だが、少なくとも人類の祖先が行ってきたことが、子孫の行動の判断材料として参考になることは間違いないと思う。

世界中で長く続く「歴史ブーム」の根底には、単なる歴史ロマンチズムだけではなく、過去を学んで将来を占いたい、という人類共通の認識があるのではないか。久しぶりにヨーロッパ史を復習してみると、ルネサンス期から近代の諸事象が、現代のEUを理解するために大きな参考になるような気がしている。
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文=川村雄介

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