米田は、化学者の父、専業主婦の母の元で育った。目立つことが苦手で、中学時代までは、友人についていくタイプだった。
最初の転機は、高校2年の時に訪れた。経営学の授業で、講師に公認会計士がやってきたのだ。「お金を扱う会計士になれば、世の中の仕組みがわかるのではないか」と、その職業に心惹かれた。
米田が「世の中の仕組み」を知りたかった背景には、母の存在があった。英語をはじめさまざまなスキルを持っていながら、専業主婦として家族の幸せのために邁進してきた母。
「自分の生き方は自分で決めなさい」といつも語っていたが、その言葉の端々に、「本当は母もいろいろチャレンジしてみたかった思いもあったのでは」と感じていたからだ。
「そもそもなぜ女性は働きにくいんだろう」
この問いを解くために米田は公認会計士への道を選ぶ。そして大学3年生だった2004年、公認会計士の試験に20歳で一発合格。すぐ大手監査法人である新日本監査法人(現・EY新日本有限責任監査法人)の非常勤職員となり、卒業まで二足のわらじを履く生活となった。
しかし米田は、自信を持つどころか「優秀じゃないのに受かってごめんなさいという感じ」だったと当時の心境を振り返る。「絶対ビリだった」と一緒に合格した仲間に言うと、「確かによく受かったよね」と返ってきた。知識も経験も働ける時間数も少ない。
そんな思いから、米田は学生でありながら「人の3倍働く」と誓いを立てる。上司には「甘やかさないでどんどん仕事を振ってください」と頭を下げた。