取材で「知りたい」という扉がぐっと開く。フォトジャーナリスト安田菜津紀

フォトジャーナリスト 安田菜津紀


──写真を通じて「伝えたい」と思うようになった原点は。

16歳のとき、国際協力NGO「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアに行きました。私にとって初めての海外だったのですが、そこで現地の子どもたちとたくさん友達になりました。同時に、彼ら彼女たちが過酷な暮らしを強いられていることを知り、見聞きしたことを伝えたいという強い思いが芽生えました。

帰国後、いくつもの出版社に電話をかけて、「カンボジアのことを書かせてください」とお願いしました。理解ある大人たちのおかげで、複数の媒体が原稿を載せてくれました。でも日本の高校生たちに伝えるには、硬派な雑誌はハードルが高かった。壁にぶつかりました。

そんなとき、教室で友人にカンボジアの写真を見せていたら、普段話したことのない子たちが集まってきたのです。「写真には、興味がなかった人たちも引き寄せる力がある」と知りました。その後、大学時代にロールモデルとなる写真家の師匠・渋谷敦志氏に出会い、写真という手段を使って世界の問題を解決しようと決めました。

食文化の話にも通じますが、今も昔も「伝えたいこと」が先にあり、「そのために一番いい手段は何か」を考えるという点は変わりません。

──安田さんにとって、よりよい社会とはどのようなものですか。

夜寝る瞬間に、「明日も生きていたい」と自然に思える。そんな社会が理想です。仕事柄、中高生に接する機会が多いのですが、いじめや家庭内暴力の相談を受けることが少なくありません。子どもたちが明日を迎えたいと思える社会を作るにはどうしたらいいかと常に考えています。

解決策のひとつが、社会と繋がる間口はたくさんあるというのを示すことです。自分自身がコミュニティの選択肢のひとつになるのはもちろん、写真も含めたカルチャーを通じて心を休めたり、違う目線で物事を捉えたりするきっかけを作ることができればと思います。

コミュニティ作りという面で実践しているのは、「友だちご近所さん計画」です。友人が引越し先を探しているときは迷わず「近所においでよ!」と誘います。

どんなにSNSが発達しても、人にはリアルなつながりが不可欠です。誰かがしんどいとき、「今から行くよ」と言える人がいるかどうかは、日々の幸せや安心感に決定的な差を生み出します。

嫌なことがあった日も、友だちと一緒に過ごすだけで1日を気持ち良く終えられる。今、私には海外取材から帰ってきて、「おかえり」って言ってくれる人たちがたくさんいます。「おかえり」「ただいま」と言い合える関係を広げることが、私にとって理想であり、幸せです。


安田菜津紀◎1987年神奈川県生まれ。上智大学卒。フォトジャーナリスト。Dialogue for People所属。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとして、カンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。2012年に「HIV と共に生まれる−ウガンダのエイズ孤児たち−」で若手写真家の登竜門とされる名取洋之助写真賞を受賞。現在は国内外で難民や紛争、貧困、災害などの取材を進める。著書に『あなたと、わたし』(共著、日本写真企画)、『しあわせの牛乳』(共著、ポプラ社)など。J-WAVE『JAM The World』水曜日ナビゲーターも務める。

構成=瀬戸久美子 イラスト=Kyle Hilton

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