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2019.04.25

失われつつある伝統文化を再解釈し、未来へ引き継ぐ 図案家・川原マリアの挑戦

図案家・川原マリア

Forbes JAPANでは、世界のセルフメイドウーマン100人に「わくわく」する瞬間を聞く「SELF MADE WOMEN 2019」プロジェクトをスタート。国籍、年齢問わず世界で活躍する女性たちの原動力とルーツを解き明かしていく。
 
平均年齢は80歳以上

「図案家」という職業を知っているだろうか。図案家とは、着物の下地を描く、いわば「着物のデザイナー」のこと。古都・京都において図案家が生まれたのは江戸時代中期。当時人々の一般的な装いだった着物の需要拡大に伴い、図案家も増加。意匠のデザインという意味では、日本で最初のデザイナーであるとも言える。

しかし、私たちのライフスタイルの欧米化によって身につける服が着物から洋服へと変わり、和装産業は徐々に衰退。図案家も次第に少なくなっていった。さらに、着物文化の疎遠化や、時代に馴染まない徒弟制度などが原因で後継者は不足。いまや図案家たちの平均年齢は80を越えるという。そんななか、かつての文化を後世に受け継ぐべく、図案家として奮闘するひとりの女性がいる。京都の着物卸問屋に勤めながら自身のブランド「MICO PARADE」を運営する、川原マリアだ。

SNSを通じて、明るく、時に図案家を取り巻く環境の悲痛な現状を発信する川原氏は、いま30代前半。業界内では「まだまだひよっこ」と話す川原氏は、今身を置く業界を変えるために活動しているなかで、先輩たちから後ろ指をさされることもしばしば。それでも情報発信をやめず奮闘する彼女だが、はじめから図案家になりたかったわけではないという。今に至るまでのストーリーと、彼女の原動力に迫った。

川原マリア

──平均年齢が80を越えると言われている図案家ですが、いつからこの道へ?

23歳のときです。いまは京都でこの仕事をしていますが、生まれは長崎で。カトリックの家庭で育った私は、12歳から18歳まで修道院で生活をしていました。修道院という環境もあり、将来の夢がとても限られていたんです。

15歳の時に兄を、17歳で父を亡くして。自分が何をして生きていくべきか真剣に悩みました。その結果、決まっていた大学進学をやめて、何か表現する仕事に就こうと決め、高校卒業後は名古屋に住んでいた兄を訪ねて長崎を出ることに。修道院での生活は普通の女子中高生とは違う特殊なもので非常に自分の糧になったのですが、やはり色々なことが制限されていたのだと名古屋に出てきて知った私は、しばらく劇団の裏方として働きました。でも、女性ならではの辛い思いや、あまりやりたくなかった表舞台に出されることも増えてきたので、思い切って転職をしました。その後、ナイキの店舗スタッフや東芝の工場勤務などをしていましたね。
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文=石原龍太郎 イラスト= Kyle Hilton

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