──劇団、アパレル、工場勤務とバラエティに富んだ経歴ですが、その後図案家に?
すぐにというわけではないですが、そうですね。多くの会社組織で働いているなかで、組織で働く限界をなんとなく感じるようになったんです。当時はお金のために働いている意識があって、それがしんどくなってきてしまって。
じゃあ何をしようか考えた時に、そもそも修道院を出た頃の初心を思い出したんです。『表現する仕事』がしたかったこと、父と姉がデザイナーをしていたこともあり、同じような仕事をやってみたいと思った。
私たちのように戦後に生まれた世代は、生まれてからずっと和洋折衷の欧米に憧れるような文化の中で生活してきたことを考えると、確実にアイデンティティーが不足している。じゃあ、いま海外から評価されている「日本のアイデンティティーのようなデザイン」ってなんだろう、と大きな外の視点から日本を見直してみたんです。そうしたら、和柄?着物?だったら京都?と考えが巡り、「京都 着物 弟子」で検索してヒットしたところへ弟子入りしたんです。
──伝統産業で働くことは、師弟関係などを含めやっていくのが大変そうな印象がありますが、実際に入ってみていかがでしたか?
上下関係がものすごくはっきりしている業界なので、怒鳴られたりすることもあります。私も3年間は無給の約束で弟子入りし、掃除などの雑用から始まりました。頑張って1年でお給料をもらえるようにはなったのですが、そこで働いているうちに、日本の職人はこのままではやばいと思うようにもなりました。
長い歴史のなかで蓄積された伝統を、ぶれることなくまた時に柔軟に守り続けてきた先人たちは本当に偉大な存在です。しかし時代は変わり、洋装が生活のメインになり、着物が人々の生活に馴染まなくなってきた。同時に、後継者不足によるつくり手の高齢化や業界内の古き風潮なども相まって、もはや風前の灯とも言える状況です。
それでも、真っ直ぐに必死にその道を極め、国内外からみても本当に素晴らしいものを作っている大先輩方の尊い姿を目の当たりにして、このままではいけないと危機感を抱きました。いま海外から日本の伝統文化が注目されているようになっています。守ることは、消えていくことと同じ。伝統は常にアップデートされていくべきなのです。だから私は、奇抜なデザインの着物をつくるし、SNSでも積極的に情報発信をしています。