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2019.04.29

メディアが酷評。クリントン夫妻をモデルにした舞台劇

Photo by Lester Cohen/Getty Images


アメリカでは、このたった数年でも、リンドン・ジョンソン大統領をテーマにした映画「LBJ ケネディの意志を継いだ男」はヒットしたし、ジョージ・W・ブッシュ政権の副大統領ディック・チェイニーを描いた「バイス」も評価が高かった。

どちらもベテラン俳優がみごとに本人にそっくりになりきり、そのうえで、許される限りの脚色や演出を加えてドラマに仕立て、公民権運動やイラク戦争という歴史上の重要なターニングポイントを描いている。

「バイス」を見るとわかるが、深みのあるチェイニーに比べ、ジョージ・ブッシュ(子)大統領の役者はそっくりなだけで、ドラマへの貢献度は低い。それはやはり似ていればいいというものではないということなのだろう。

着眼点はいいかもしれないが…

クリントン夫妻は、大統領選挙に2人とも出馬したという史上空前のカップル。一方は当選して、一方は残念な結果に終わったそのギャップが、家庭内でどう2人に「すれ違い」を生じせしめたのかという視点は、確かにエンターテインメントとしてはいい着眼点だったに違いない。

しかし、アメリカ国民にとって大統領はあまりに近い存在でありすぎる。制作側の独自のヒラリー像の解釈を強めれば強めるほど、観客は自分たちのなかにあるヒラリーのイメージと照らし合わせ、そのうちに劇についていけなくなる。「ここまで創作するのだったら、別にヒラリーの実名を使わなくっていいじゃない」と。

最近のハリウッド映画では、スーパーヒーローものか、実話に基づいた作品(「グリーンブック」や「運び屋」など)がヒットしているように見受けられるが、実在した人物がモデルとなったときには、観る側も、事実の踏襲だけでなく、自分たちの実際の印象とドラマでのキャラクターとのあいだに、何らかの「つながり」を求めるのは当然のことと言えるかもしれない。

連載:ラスベガス発 U.S.A.スプリット通信
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