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LGBTからダイバーシティを考える



りゅうちぇる(左)東京レインボープライドの共同代表理事 杉山文野(右)

みんなと同じ曲を歌って、同じポーズをとっていた

杉山:以前バラエティ番組で、「男なのに可愛いものが好きな自分が嫌だった。いっそ男の子のことが好きだったらわかりやすい存在になれたかもしれない」と自身のセクシュアリティについての悩んでいたことをお話されていました。こうした悩みは、幼い頃から抱えていたのでしょうか?

りゅうちぇる:僕は幼い頃沖縄に住んでいて、高校を卒業してから上京しました。子供の頃からバービー人形やメイクが大好きで、幼稚園でも「なんで男の子なのにそんなの大事にしているの?」とよくからかわれていたんです。

両親はそんな僕のことを心配して、男の子用の服を買ってくれました。気遣ってくれているのはわかるけど、それでも両親にも自分の「好き」を否定されるのはやっぱり辛くて。

幼稚園でいじめられていることも伝えられず、「僕には友達なんてできないんだ」とずっと一人で落ち込んでいました。自分が周りと違うのはなんとなくわかりましたが、いまみたいにそのことをはっきり言葉にできなかったんです。

杉山:僕にも同じ違和感がありました。幼稚園の入園式の時には既にスカートを履くのが嫌で泣いていました。でも「そんなに嫌なら」と言って無理にスカートをはかせることなくズボンを買ってきてくれるような親だったのはありがたかったです。

小学校に入るとセーラー服になりました。耐え難い苦痛だったのですが、みんなと違う格好をして一人だけ変な人と思われるのも怖かったので、誰にも相談できないまま我慢してスカートを履いていく生活を過ごしました。

りゅうちぇる:学校に通い始めてからも、高い声をからかわれるなど、辛い時期は続きました。カラオケの場で浮かないために好きでもない曲を覚えて、ヤンキーみたいに足を広げて偉そうなポーズで歌っていました。僕はマイクを持つ時、どうしても小指を立ててしまうクセがあったのですが、それも必死で隠して……。

当時の僕は、この世界には「かっこいい」が一種類しかないと思っていたんです。レゲエを聞いて悪ぶることだけが「かっこよさ」なのだと思い込んでいた。単純すぎますね(笑)。

だから転校なんて選択肢は思い浮かばなかったし、スクールカーストでの地位が下がることをとにかく恐れていました。

「多様性」とは、自分のカラーを守ってあげること

りゅうちぇる:自分を隠して人と仲良くしても、ずっと何か違和感がありました。あるとき気づいたのは、結局そうやって築いた友達は、偽りの関係だったということ。

知り合いがほとんどいない遠くの高校に行く覚悟ができたのは、そんな自分が嫌になったから。人の目を気にせずに好きな音楽を聴いて、好きなメイクをする。カーストの地位が下がったとしても、やりたいことやろうと思ったんです。

杉山:僕も学生時代には、「こうありたい」より「こう見られたい」とばかり考えていました。けれど、偽った自分を褒めてくれる1万人より、ありのままの僕に向かって「まったく、文野はどうしようもないな」と言いながらそばにいてくれる人が5人いればいいと思い本当の自分をさらけ出すようになったら、むしろ周りに人が集まるようになりました。

りゅうちぇる:ハッとさせられたのは、中学の卒業式でたくさんの花束をもったとき。カースト上位にいなければ意味がないと思っていたけど、そうじゃなくても自分を見てくれる人はたくさんいる。狭い経験で他人のことを決めつけていたのは、むしろ自分の方だと痛感しました。

当時を振り返って思うのは、やっぱり大事なのは「多様性」だということ。だけど、それはあらゆる人に「自分の好きなことを認めてよ」と叫ぶことではありません。いろんな考えの人がいる中で、自分の色を愛して、守る方法を考えることなんだと思います。

構成=野口直希 写真=小田駿一

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