ゴッホは1890年6月29日、パリ北郊の村オーベルシュルオワーズにて腹に弾丸を受け、37歳で死去した。「芸術史上最も有名な武器」と称されるさびついたレボルバーは、その現場となった畑で農業従事者が1965年に発見したもので、パリのドルオ競売所で競売にかけられる予定だ。
拳銃を売りに出したのは、ゴッホが人生最期の数カ月を過ごした旅館「オーベルジュ・ラボー」所有者の子孫。拳銃は発見者により旅館の所有主に譲渡され、以後は経営者一家が保管していたとされる。2016年には、オランダ・アムステルダムのゴッホ美術館での展覧会で初めて一般公開された。
ゴッホ博物館公認の見解ではゴッホの死因は自殺だったとされているが、一方でゴッホが嫌がらせを受けていた住民の誤射によって死亡したとの説も長きにわたり唱えられてきた。昨年の映画『永遠の門 ゴッホの見た未来』では、2人の若い兄弟とゴッホがもみ合っているうちに拳銃が暴発する場面が描かれている。
幾度となく精神を病み、1888年12月23日には自分の左耳を切り落とすという有名な行為に及んだゴッホは、精神科病院に1年間収容された後にオーベルシュルオワーズへと移り住んだ。そこでもゴッホは絵を描き続けたが、「自分が壊れた人間のように感じ、完全回復への望みは消え失せていた」とゴッホ美術館は解説。「その4カ月後、彼は自ら命を絶った」としている。
2016年の展覧会のカタログには「ゴッホがこの銃を使って自殺を図った可能性が高い」と書かれている。また芸術紙アート・ニュースペーパーによると、同型の拳銃は「19世紀後半の民間向け拳銃の中でも特に人気」のもので、1893年まで製造された。
競売会社によると、これがゴッホの自殺に使われた拳銃だということを示す証拠はいくつかある。それは「ゴッホがこの銃を撃ったとされる場所で見つかったこと、銃の口径が、医師によってゴッホの体から摘出されたと記録されている弾丸の直径と同じであること、この拳銃が1890年代から土の中に埋まっていたことが科学的調査から示されたこと」だ。