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結婚ははたして、まだ勝ち組と呼べるのか?
もはや結婚することは日本においても、世界的に見ても多数派ではなくなってきている。結婚するしないはほとんどの場合、その人のライフスタイルや価値観に合わせて選択できるようになってきている。もしかしたらそれと同時に結婚しづらい時代に入ってきたのかもしれない。
晩婚化や未婚化が少子化を加速させている、という懸念の声もあるが果たしてそうか。
前述のとおり、婚姻率は日本が例外ではなく多くの先進国においても低下傾向にあるが、出生率は日本で少子化が叫ばれるなか、フランスやスウェーデンなどの国々は横ばいである。これらの国の出生率も以前は低下していた。
その際、フランスでは、現在の日本のように家族手当等の経済的支援制度が中心であったが、1990年代以降は、保育の充実へ方向を転換し、出産・子育てと就労に関して幅広い選択ができるような両立支援を強める方向で政策が進められてきた。またスウェーデンでも、比較的早くから経済的支援と併せ、保育や育児休業制度といった両立支援の施策が進められてきたことで、出生率はフランスは1.92%、スウェーデンでは1.85%まで上昇している。
またOECDによると、フランスとオランダの婚外子の割合はそれぞれ59.7%、54.9%と半数を超えていて、婚内子と何ら変わりない保障制度でも守られる。一方、日本の婚外子率は2.3%にとどまる。欧米が良くて日本が悪いという比較論は私は好きではないが、このような国々やその政策を見ていると必ずしも晩婚化や未婚化が少子化に直接起因しているとは結論づけがたいのだ。
結婚を含め人生の優先順位も人それぞれ多種多様になってきていることを認識し、それを尊重しよう。するべき論前提で、結婚を強要したり「結婚しないの?」と執拗に質問したりすることこそ、もはや時代遅れであるからやめておこう。
家族や同僚のことを思っての愛のある発言であることもみな重々承知であるが、言われた独身者の当人にとってはやはりプレッシャーだ。結婚できない人もあえてしない人もいる。
今は結婚の選択肢が限られることで結婚しない、できない人も、同性婚や夫婦別姓の訴訟の決着がつく頃にはまたあらたな結婚や家族のかたちが誕生していること、結婚したいと願う人がより自分に合った選択肢が可能になることを期待したい。
勝ち組は誰か? 言うまでもなく結婚に勝ち負けはないし、結婚や出産は誰かのためにするものでもない。それでも結婚しないと負けた気がしてしまうのは、勝ち負けを判断するものはしを他人や世間に委ねてしまい負い目を感じているからであろう。
世間や周囲の期待であっても自分の意に反するものはノイズでしかない。必要以上に応えない、「勝ちの価値」は自分で決める、それこそが勝因である。