ビジネス

2019.04.27

起業で苦楽を共にした盟友との別れ。頭ではわかっていても、涙が止まらなかった

共同創業者のラースさんに花束を渡す著者


ラースさんの最終出社日には、レッドウッドシティのオフィスの近くにあるいつものバーで、フラクタの社員が全員集合してお別れ会を開いた。昔話に花が咲き、会の終盤、CTOの吉川君が「ラースさん、フラクタで一番の思い出は何ですか?」と聞くと、ラースさんはこう答えた。

「シカゴの展示会かな。泊まる部屋が間違ってキャンセルされちゃって、加藤さんが泊まる部屋が無くなっちゃったんだ。そうしたら加藤さんが、俺は昔から貧乏だったから平気だって、近くのセブン-イレブンで寝泊まりするから大丈夫だって言ってさ。シカゴの街は本当に危険だからって、僕の部屋に泊めたんだ。あれには参ったよ」

あの頃、僕たちはまだロボット会社だった。重たいロボットを担いで、アメリカの水道産業で一番大きな展示会に参加するため、シカゴに乗り込んだ。3年近く前、2016年の6月だ。あの頃、何も見えていなかった。あるのは僕とラースさんの情熱だけ。テクノロジーが好きで、人が好きで、夢を語っては、一緒にビールを飲んだ。僕たちは本当に何も持っていなかった。今では、会社に31人もの人がいる。トイレの数が足りないと、5月あたりには引っ越しをしようと検討している。

その日の時間は、あっという間に過ぎ去っていった。「さあ、そろそろ時間だ。車を運転して帰らなきゃ」ラースさんが言った。従業員の一人ひとりとハグをする。僕はラースさんと抱き合うと、涙が止まらなくなった。これがお互いの人生にとってベストの選択であるということは、理屈では分かっている。この記事を書きながらも、本当にそう思っている。ただ、涙が止まらなかった。ラースさんに伝えたい感謝の気持ちも言葉もたくさんあったのに、僕は一言も言葉を発することができなかった。



「加藤さん、大丈夫、大丈夫だ。いつかまた、いつかまた、このバンドを復活させよう。また、一緒にやれる日が来るさ」

ラースさんは、この人は、どこまでも太陽のように明るく、また温かい人なのだ。僕はその場に立ち尽くした。ラースさんを見送ってあげることもできなかった。強い喪失感に包まれた夜を越え、翌朝目を覚ますと、僕は俄然やる気になっていた。ラースさんの分も、自分がやらなければならない。アメリカだけではなく、日本も、イギリスも。世界中に、僕とラースさんが考えたソフトウェアを、僕たちのイノベーションを、売って売って、売りまくるんだ。

連載:The Journey Is The Reward
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文=加藤 崇

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